電気がなくても生きていけるなと思って、電気は止めたまま食べ物のほうを優先した。
いつも5人組でつるんでいた親友が助けてくれました。引きこもって学校に行っていなかった頃に、毎日「大東、遊ぼう!」って声をかけにきてくれて。
厳しかったと思います。これは人それぞれですが、当事者って「なんでこんな目に遭わなあかんのやろ」とは思うけど、客観的に「これは虐待だ」とは気づきにくい。
「きっとあいつらは俺のことを貧しい奴だと見て、同情してるんだろう」と、想像してしまう。
今の自分も『ひとつの作品の中の自分』と考えたら、楽になるんじゃないか
今この瞬間を『ある作品の中のすごい苦しんでいる人』くらいに距離を置いて、ただ通り過ぎてしまえばいい
僕の部屋は3階だったのですが、窓辺にベッドを置いていて。夜中、何度も身を乗り出して飛び降りようとしたのですが、めちゃくちゃ怖かった。「終わりって、こんな近いんや」と思いました。
叔母と暮らしながらバイトもして、お金を貯めて17歳で上京しました。高校時代はめちゃくちゃ楽しかったんですよね。
「自分ではお金を稼ぐこともできない」って思っていたのに、叔母に「あんたバイトしいや」って言われてバイトしてみたら、意外と簡単にお金が稼げたとか。
「自分の話をしないってことは、相手からも一定以上のことを聞けないんじゃないですか」と言われて。
「なんでこんなに孤独を感じているんだろう」「このマイナスな気持ちをどう解釈できるんだろう」と考えることで、自分を知ることができるんです。
僕が父親として、子どもに同じことを繰り返す危険性については「ないとは思うけれど、ないと思わないようにしよう」と考えています。
親と自分の間に壁ができて「あの人は個人の人生を、この壁の向こうで自由に生きているんだ」と思うようにしました。
自分がどう思うかで世界は一変する
生まれた家族ではなく、自分で選んだ家族のほうにSOSを出してほしい。
死さえ選ばなければ、今の悲しみや苦しみも、いつか自分を救う財産に変わります。人生は、楽しんでいいんです。だから、あなたの「楽しい」を見つけに行ってください。
これから自分はどう生きていきたいのか?
恐ろしいほど自分の本質が分かる時間だなと。
今を乗り切ったその先の、社会や仕事と真正面から向き合うための未来の自分をデザインしてると感じ、なんだかんだ希望を持って生きてるんだなと実感します。
もともと味には自信ありましたけど、ブレ始めた味を調整しなおして、この機会に1から自分に合う素材探して前より繊細ないいダシ取り直しますんで、再開したらまた食べに来てください。