十人いれば十色のものの見方があることをまず許し、それを理解し、その上で私も自分の考えや意見をのべようと決心したのです。
聖書では、愛に欠けることが悪だといいます。
聖書の教える愛とは、恋愛感情のような激しいパッションではなく、人が神様からもらっている命を生かし、もらっている恵みを生かして、その素晴らしい人間に成長するよう自分を育てていくことです。
人間が一生をふりかえってみて、もっともうれしいと思うことは、自分が理解され受け入れられて、それを形として示してもらえるということではないでしょうか。
あの人のことを思って、「してあげた」。「してあげた」という気持ちが湧き起こってきたら、自分にこう言ってみましょう。「こういうことのできる自分がうれしい」
人間関係においては、互いの周波数が相手に届いています。ラジオを聞く時に周波数を合わせるように、嫌な気持ちで波動を送っていると、相手も嫌な気持ちで受け取ります。
人間の思考には力があります。あなたは自分で考えたとおりに、周囲の状況をつくりあげているのです。
あなたは自分の想像力を善いことに使って、周囲の人に幸せをもたらすこともできれば、自分の力を悪用して有害なものをつくることもできます。
あなたは自分の人生を自分でつくりだしていく力を与えられています。自分の自由意志で、今日の一歩を選んでください。
あなたは相手に無意識に見返りを求めていませんか。知らず知らずのうちに、相手に自分の欲求を投影していませんか。
求めてばかりいると不平がやってきます。
期待ばかりしていると落胆に出会います。
求めず見返りを期待しないで与えると、心の安らぎが訪れてきます。
人間は、一人ひとりが固有の使命を与えられてこの世に生を享け、それぞれ違った体験を通じて成長していくために生きています。
正しい、正しくないという尺度ではなく、自分の中に起こってくる感情も含めてありのままに受け入れていくと、人間の力を超えた大きな力がこの世に働いていることに気づきます。
自分を許すということが、すべてを許す出発点になります。
隣人のしたことで、自分の弱さがあばかれてしまうのではないかという恐れが、あなたの心の奥底にないでしょうか。
よく眠れた朝、蘇ったようにはつらつとして目覚めた経験はありませんか。
魂の栄養を、眠っている間に、無数の人々と分かち合っているのです。これが眠りの本当の意味です。
自分の生命をつくりだせる人は誰一人いません。どの人もこの生命の源から、生命を与えられて生きているのです。