今回は有名な「西原 理恵子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「西原 理恵子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
西原 理恵子とは
西原 理恵子(さいばら りえこ、1964年11月1日 - )高知県高知市浦戸出身。私立土佐女子高等学校中退、大学入学資格検定合格、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。日本の漫画家。1988年『ちくろ幼稚園』でデビュー。前夫はカメラマンの鴨志田穣、パートナーは高須クリニック創業者で東京院院長の高須克弥(事実婚)。代表作は『ぼくんち』、『毎日かあさん』など多数。一般財団法人高須克弥記念財団理事長。
7歳の時に母が再婚。私立土佐女子高等学校在学中に飲酒によって退学処分を受けるが、納得のいかない一方的な言い分に不服を申し立て、学校側を訴える。中退後は美大受験を志すが、美大受験の前日にギャンブルで莫大な借金を作った継父が縊死を遂げる。その後大検に合格し、美大受験のための予備校である立川美術学院に通う。1年後、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に入学する。在学中から、飲食店での皿洗いやミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた成人雑誌のカットが小学館の編集者八巻和弘の目に留まり、1988年『ちくろ幼稚園』(『ヤングサンデー』)でデビュー。1989年3月大学卒業。
参考:Wikipedia
西原 理恵子の名言集
あなたが笑うとあなたの大切な人が笑うよ。
しあわせなのに怒って損した
王子様を待たないで。社長の奥さんになるより、社長になろう。
「好きなことだから、お金はもらわなくてもいい」は、間違いです。好きなことで生きていきたいなら、それでちゃんとお金が稼げるようにならなくちゃ。
自由ってね、有料なんですよ。(中略)自分で働いてお金を稼ぐっていうのは、そうやって、ひとつひとつ、自由を勝ち取っていくことなんだと思います。
どんなときでも働くこと働き続けることが希望になる。
大事なのは、自分の幸せを人任せにしないこと。そのためには、ちゃんと自分で稼げるようになること。
「この人は大丈夫」と男性に依存しない、旦那さんも自分の人生何が起こるかわからないからこそ、自分でも稼げる力を。そうしたら、どんな夫がよいのかも見えてくる。
どん底でこそ笑え
結婚も仕事も、子育ても仕事も。どっちもとっていく人生を生きていく力をくれる言葉です。
ツライけど、人はね、神様が許してくれるまで、何があっても生きなくちゃいけない
人の気持ちと人のカネだけは、当てにするな
ダイヤモンドをくれる男より、一緒にリヤカーひいてくれる男がいい。しょぼい一日を、ふたりで笑い話にできるなら怖いもんなし。
親子仲よくなくてヨシ
邪魔なものは親でも何でも捨てちゃわないと、自分が難破しちゃうから。
うそは、あなたを守る大事な魔法。人を傷つけたり盗んだりするのでなければ、うそって大事よ。これからも、上手にうそついて生きていけばいいんだよ。
働いていれば、男でしくじってもなんとかなる。
ダメな男とつきあってもそれを学習してね。(でもすぐ別れてね)そうすれば優しい人のありがたみがわかるから。
割らんでもええ。足さんでもええ。いっぱいもっとったらええ。学習しろ子供。これが大人算数。
夢をつかむことより、たとえ夢破れても、そこから立ち直ることのほうが大事。転んでもいいから、また、顔をあげる、そういう女の人になってください。