本当にいいものはとても少ない。何でもそうだよ。本でも、映画でも、コンサートでも、本当にいいものは少ない。
人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。
一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。
ベッドの中でも、ベッドの外でも。彼女はぼくを、まるで飛行機のファーストクラスに乗ったような気分にさせてくれた。
女というのはまるで鮭みたいだ。なんのかのと言ったって、みんな必ず同じ場所に戻りつくのだ。
旅行というのは本質的には空気を吸い込むこと。
走ることが創作のために大事な役を果たしているという肉体的な実感をずっと持ってきた
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
夫婦喧嘩に対する対処法は?こちらに向かって驀進(ばくしん)してくる機関車に向かって怒鳴ったりはしませんよね。それとだいたい同じことだと思われたらいかがでしょう? 無駄なエネルギーは使わないようにして、身の危険は素早く避ける、これしかありません。人生の知恵です。がんばって平謝りしてください。妻が機嫌が悪い時はどうすれば?「これはただの気象現象なのだ」と思われてはいかがでしょう。これは竜巻なんだ、これは突風なんだ、これはフェーン現象なんだ。そう思うと気持ちが(比較的)ラクになります。誰も天気に文句は言えませんからね。
人々はじっさいには不自由が好きなんだ
死んだ人はずっと死んだまんまだけど、私たちはこれからも生きていかなきゃならないんだもの
秘密というのはそれを知っている人間が少ないからこそ秘密なのだ
僕は現実でもある日誰かが消えてもおかしくないと思って生きている。人というのは日常的に失われていくものだととらえているんです。猫を飼っているとわかるけど、動物というのはいついなくなっちゃうかわからない。そういうことって決して特殊なことではない
どんな言語で説明するのも難し過ぎるというものごとが、私達の人生にはあります
あの子を助けたいと思うんじゃなくて、あの子を回復させることによって自分も回復したいと望むのよ
日本の文壇システムからは、ほとんど黙殺されたような状態になっていました。多くの読者は僕の小説を熱心に受け入れて、本を出せばそれを買ってくれました。でも文芸世界では僕はほとんど評価されなかったし、好かれもしなかった。攻撃を受けることも頻繁にありました
想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。誰にもそれをとめることはできない
誰も助けてはくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです
本当に深く心が傷ついたときには、言葉なんて出てこないものだよ
おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ