引用元:手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
今回は有名な「手塚 治虫」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「手塚 治虫」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
手塚 治虫とは
1928年〈昭和3年〉11月3日、大阪府豊能郡豊中町生まれ - 1989年〈平成元年〉2月9日)死去。日本の漫画家・アニメ監督・医師。勲等は勲三等。
1951年 光文社の月刊誌「少年」に「アトム大使」(当初の予定はアトム大陸)を連載開始。
1952年 - 医師免許取得。『アトム大使』から路線変更した『鉄腕アトム』(連載予告では鉄人アトム)を『少年』 に引き続いて連載。
1963年(35歳) - 自ら創設して社長も務めた虫プロダクション制作の日本初毎週30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(モノクロ作品)がフジテレビにて1月1日から放送を開始する(丸4年間放送)。
1967年 - 虫プロ商事は月刊誌『COM』を刊行開始し、同誌に「火の鳥」の連載を開始。
1973年(45歳)11月19日、『週刊少年チャンピオン』にて『ブラック・ジャック』の連載開始。
手塚 治虫の名言集
人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。
人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。
人生は一人じゃない。二人三脚で走らねばならんこともある。
物語はここから始まるのだ。
好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる。
井の中の蛙を決め込んでいるのは、敗北だと思う。
最後まで努力をするってのが、本当の生き甲斐ではないでしょうか。
数えきれないほど、悔しい思いをしてきたけれどその度にお袋の「我慢しなさい」って言葉を思い浮かべて、なんとか笑ってきたんです。
医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。
一攫千金は偽りの成功。真の人生の勝負は、じっくり腰を落ち着かせてかかるべきだ。
インプットがないのに、アウトプットは出来ません。
人の後をついていたら安全というのは、この世界じゃ通りません。
ぼくたちは、かけがえのない地球に「同乗」している、仲間です。
終始一貫して僕が自分の漫画の中で描こうとしてきたのは、次の大きな主張です。「命を大事にしよう!」
睡眠は三日間で三時間。こんなつらい仕事を四十年続けるなんて、馬鹿じゃないとできないですよ。
後世に残る作品をなどと気張らず、百歳まで描きたい。
今ここで自分が描かなければ誰が描くんだろう。
人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるもの。
合理化はゆとりや遊びの空間を消して、むしろ人を遠ざけることになります。
人間の「善」が、常に「悪」よりも先んじてほしいものです。