引用元:庵野秀明展
今回は有名な「庵野 秀明」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「庵野 秀明」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
庵野 秀明とは
1960年5月22日生まれ、山口県宇部市出身。日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。
1997年(平成9年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。
2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。同年、株式会社ガイナックスを退社。
2009年(平成21年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を全国主要映画館にて公開。
2012年(平成24年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を全国主要映画館にて公開。
2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。
2021年(令和3年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。
庵野 秀明の名言集
とにかく徹底的。徹底しよう可能な限り中途半端はやめておこう
世間を相手にやろうと思ったら世間が認めるような形にしなきゃまずいですよね
アニメファンの人のポピュラリティ(ウケるもの)はメカと美少女ですね。もう30年来以上延々と変わってない宮さん(宮崎駿監督)の時代からなんにも変ってない。自分もそうだからわかるけどやっぱりメカと美少女だと思うんですよ。
最終的に客が見る部分の大半はキャラクターだったということですねアニメに限らずキャラ人気ですよ何事もだから役者の人気だってキャラ人気と変わらないわけじゃないですか要はキャラクターが一番。キャラが立ってるかどうか『鉄道員(ぽっぽや)』とかって高倉健のキャラクターと映画の中のキャラクターが合致してなおかつ、世界観が寒々としてるところじゃないですかこの三要素がそろったところでOKだったんですよ
僕への悪口はいいのですがスタッフやキャストへの悪口はやめて欲しいです作品の責任は監督にあるし悪口を言われるのは監督の仕事ですから文句があるなら僕にぶつけて欲しいです
基本的には質がどんどん下がっていくわけだからできるだけ質が下がらないようにするためにはどうしたらいいんだろうというのを発想の原点にすべきなんです途中から質が上がるなんてことはありえないプラスを考えるよりマイナスにならないための考慮のほうが現実的
作りたいから作っているんです作ることが重要で完成してしまったら僕にとっては終わりです終わった作品に興味はもてないし過去の自分の作品を見直すなんてことはまずしません
大事なのはコストパフォーマンス。あるものでなんとかしようという。ある時間と、ある予算と、あるスタッフ。状況によっちゃ「ええ、この人と!?」という人たちだけで作んなきゃいけないわけです。それで一定のクオリティを維持しようとするには、コストパフォーマンスを上げていくしかない。
基本的にアニメ(を制作すること)って穴の開いた船だから、沈む前に港に着けるかという、それだけなんです。そのためには排水作業をどうするかという、ダメージコントロールでしかない。最悪の状態を想定して、それに対処するためのシフトを作っておくだけなんです。組織論の基本ですね。
最悪の場合を考えて、ものを作っていかないといけないっていうのは、軍艦の運用とまったく同じなんです。軍艦というのは、敵の弾が当たって沈むっていうのを前提に作られてますから、できるだけ沈まないようにするにはどうすればいいんだろうというところから始めるのが、軍艦の運用思想。
ピカチュウのいいところは、デブにしたところじゃないですか。抱き心地がよさそうだという。あれが細いとなんかもうひとつだっただろうね。やっぱ、ネズミだな、日米で当たるのは(笑)。白い手袋をしたネズミか、黄色いネズミですよ。だから、次に売れるマスコットを作ろうと思えば、ネズミをアレンジすれば。
別に意識してやったわけでもなく、綾波レイは合成人格だったんです。いろんな人の「こういうのがいいな、ああいうのがいいな」っていうのが、まとまってできただけ。ただ、女性キャラの配置として髪が長いの短いの、明るいの暗いのとかは決まってた。結局、綾波の方向性みたいなのを決定的な形にしたのは薩川昭夫さん。綾波は5話の脚本の段階でなんとなくできた。どういう暮らしをしてるかとか。あと、貞本の包帯姿の画。
わかるものは「わかるもの」として見せて、わかんなくてもいいものは「わかんなくてもいいもの」として見せる。「本来、わかってほしいもの」がわからない作りは駄目だと思うんです。こちら側が「これはわからない方が、むしろありがたい」というところは、わからないように見せる。それは「謎」とか言われている部分。それは、わかりづらいように作っている。
基本的にアニメ(を制作すること)って穴の開いた船だから、沈む前に港に着けるかという、それだけなんです。そのためには排水作業をどうするかという、ダメージコントロールでしかない。最悪の状態を想定して、それに対処するためのシフトを作っておくだけなんです。組織論の基本ですね。
椅子に座るとか、アニメーターからすればものすごい大変な作業なわけですよ。歩いていく足元を写すとか。日常の基本動作をきちんと作画するのは、アニメーターにとってすごく難しいわけなんです。ごまかしがきかないから。大変な割には普通の印象しかないから。百害あって一利なしなんです。
「そこは自分たちで考えて遊んでみてくれ」という風にしてあるんです。世界観の中にポツポツと穴をあけておくんですよ。その穴を埋める作業というのは、自分たちでもできるようにしておいた。「セーラームーン」が受けたのは、そこだと思うんです。圧倒的に緩い世界観、だから、ファンが付け入る隙が山のようにあった。
アニメ好きの人が持っている生理的な気持ちのいい部分というのは、ほとんど同じようなもんだから、ウケる画というのがどうしても似ていくんです。それがいま、ひとつの方向に行ってしまっていて、画が単一化してきているから、この先は滅ぶしかないんじゃないかと思うんです。よくアニメを知らない人がアニメ誌を見ても、どれも同じに見えちゃう。
作業って、基本的に4つぐらいの手順があるじゃないですか。とりあえず、情報を列挙して、列挙したあとに分析、比較して、最後に結論。「なんでこれを面白いと思うんだろう」ということの検証。そして、本質論に戻って、結論付けていく。
近代史を勉強した方が、最新の流れが見えるというだけですね。古いものは、ある程度分かっているから。主流というのを見極めて、その上に接ぎ木するみたいにしないと。一からやるのもできるんだけど、それでは効率が悪すぎる。その次を見通してやった方が、成功する確率が高い。
結局、いわゆるアニメファン、コアなファンだけに限って言えば、変わらないんです。その人の求めているものというのは。たぶん、永遠に変わらないと思うんです。変わるときは、オタクをやめる時だと思います。その変わらないものを満足させる要素というのは、極めて狭い範囲でしかなくて、それが水野亜美ちゃんだったり、綾波レイだったり、なんていったっけ、あの機動戦艦ナデシコに出てた……。でも、最近はそういう風にあてがわれるのに気がついて、反発があると思うんです。