服を着て歩くのは、その服に命を与えること
今、スタートラインに立っている最中です。ここからどうやって息子と向き合って生きていくのか見つけます
自叙伝は息子のために書いたものです。お母さんがどういう人間でどういう生き方をしてきたのかちゃんと伝えたいのです
この1年間仕事を減らして、息子が朝学校に行くときは「いってらっしゃい」、学校から帰って来たら「おかえりなさい」、お稽古の空手から帰ってきたら自分の手料理を食べさせてあげて「おやすみ」と言える母親になりたいと
モデルという職業は、撮影現場ではカメラマンの、コレクションではデザイナーのイメージに埋没していく“カメレオン”でなくてはいけないと思っていました。だから、冨永愛であって冨永愛じゃない。ファッション業界で成長させてもらえた部分もありますが、私自身が感じていた矛盾もたくさんありましたね
世界中のお母さん達へ、毎日お疲れ様!貴方の愛情があればこそ、子供は育つのですね。私も奮闘中です。正しいのか間違っているのか、悩みながら子育てしていく事に、意味があるのでしょう
さあ、行こう!前に進め!!自分に気合いを入れると、結構効くもんだ
女神は必ず微笑む!
私にとって、子供というのは(ファッションという非現実的な世界から)現実に引き戻してくれる、『日常への回帰』ですね。私が母親だからというのがあるのかもしれませんが
ファッションというのは非現実的な世界。昔、飲まず食わずで頑張っていた時代、パリでの移動中、ふと、公園で遊ぶ子供たちを見たときに印象的なものがあった
ずっと、山口小夜子さんの“モデルはカメレオンでなければならない”という言葉を大事に活動してきた。彼女と同じ賞を頂けて本当に光栄です
頭がぐちゃぐちゃになっていて、でも自分の生き方が間違っていたことに気付きました
子どもって素晴らしい。いつでも元気をくれる
怒りが私を華やかなランウェイに導いた。そこは、わたしが得た唯一の居場所であり、わたしが求めていた居場所ではなかった
気づいたら、学年で一番悪い生徒になっていた
お母さん、呼びかけても、呼びかけても、あなたは答えてくれない
母は、ほとんど家にいなかった。どこでどういう仕事をしていたのか知らない。たまに帰ってくるときには、酔っぱらっていた
(好きな言葉)立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花
子供が何か行動起こした時、考えがあってやったことなのか、自分勝手な気持ちなのかで伝え方も変わる
子供のおかげで穏やかになれる