出雲の阿国に出演が決まったとき、わざわざ島根県に行ったにもかかわらず、与えられた役は京都の人だった。
そうそう。ぼく、これ読んで、ちょっと食べ物エッセイ、真似っこして書きたくなりましたもん。
人それぞれかもしれないが、世のなかには自力で解決できる問題とおなじくらい、あるいはそれ以上に「ただ、なりゆきを見守るしかない問題」があるのではないだろうか。口にだして言ったコトバとおなじくらい「いおうとおもったのだが、結局いわずにおいたコトバ」もあるような気がする。
こちらにとって都合がよいのは、おわってしまった舞台について、「すっごくおもしろかったんですよ」と、もう見ることのできない人々に自慢することなのだが、そんなコメントには商業的価値はなにもない。
道頓堀ではたくさんのギャラリーの方が気になるというより、ラーメンや焼肉、その他もろもろの美味しそうな匂いの誘惑に負けつつあって、集中力を保つのが大変でした。
今ある仕事をしっかりやるっていうのが、何より次の”雇用機会”を確実なものにすることですから。
誰かを通して学んでいかないことには、自分の意見というものがないんですよ。堺雅人として、世界に対して言いたいことが何もない。(略)だから、人の言葉を語る仕事を選んだんでしょうね。
時代モノと翻訳モノをのぞいてしまうと、世の物語はひどく味気ないものになってしまう。「みぢかな設定しかやれません」などといっていたら俳優としてもつまらない。絶望的な部分にはどこかで見切りをつけて、「同じ人間じゃないか」とわかる部分からとりかかるしかない。
小学校の通分でつまずいて以来、数学が嫌い。国公立大学の入試では数学で0点を取った。「6・3・3の数学教育の結果がこれなのかと思って、がっかりしましたね」
(半沢直樹について)「この厳しい時代のなか頑張っている皆さんへのエールになれば」などと思っておりました。けれども原作の小説や脚本を読ませていただくうち、それぞれの現場で一所懸命に働いている登場人物の姿に、今は「力をもらっているのは、むしろ僕かもしれない」と思うようになっています。
基本的に、やれって言われたらなんでもやりたい人間なんです。
職業観という意味に関しては たとえばなんか、テレビに出たいなぁとかこの監督と一緒にやりたいなぁとかじゃなくて最初台本をいただいて ゆっくり何を面白いと思ってるんだろうと独り言から始めるのが当時の高校生とあまり変わってない気がする 。
(半沢という人はどんな人だと思われますか?)まっすぐでタフな人です。組織の倫理の中で正論が正論でなくなっていっても「それは違うから待ってください」とまっすぐ立ち続けられる人です。
どんなに誤解されても地に足をつけて、正しいことを言い続ける力を持つ半沢は素晴らしいなと思います。半沢の言う「やられたら倍返し」というのはタフでなければ言えない言葉で、ぼくにはとても無理ですね(笑)。
この仕事をやってきて、状況によってだんだんと満点を下げることが出来るようになった気がします。自分の中でそれが恥ずかしいことではなくなってきた気がするんですよね。(略)そこの臨機応変さは歳の功なのかな?この仕事自体、だんだん気楽になってきているし、だんだん好きになってきています。
僕と言う役者が求められたときに、演れますと言ったら仕事で応えていく。僕はそんな視野の狭い選択しか出来ないし、でもやれることをもっと増やしたいと思っています。
どんなに流暢にしゃべっていても、自分の声、自分のコトバでなければ、それは虚しい会話です。反対に、たとえイビツな声でも、どんなにたどたどしい文章でも、自分のペースで呼吸して、必死に目の前の相手に伝えようとしていれば、それだけですばらしい、尊い表現になるはずです。
多部さんに草食系のキスだと言われてとてもがっかりしたので、二度目のキスシーンは俺がんばったでしょ?ちょっとは肉食系だったよね!?多部さん!!
東京の居酒屋で「ありがとう」といわないのは、きっと店員と客がそれぞれの役割をなんとなく演じているからだろう。(略)大阪では、料理を運んでくるのは店員役なんかではなくなまみの女の子だから、「ありがとう」になるのかもしれない。
会社員て本当に大変なんだなと思いながら演じていますし、役者の世界は一個一個のスパンが短いですから。嫌な人でもそんなに長くいないので、黙っていれば次の現場が始まるので(笑)良かったです。