誰かに委ねることが私にとって新しい挑戦だって気づいたのです。それで、「あ、結婚して家庭をもとう」と思いました。「結婚は魂磨き」とも言います。
娘が反抗期のときには、「全部ホルモンのせい!」って思うことで乗り越えました。そう思うと、そんなに腹も立たないし、自分もちょうど更年期だったからお互い様、だとも思える。
その冒険物語は、私のものであり、子どものものでもあります
赤ちゃんは私たちが手を掛けなければ死んでしまいます。でも手を掛けて共に歩んでいけば、やがては独り立ちする。親は、子どもが独り立ちするまでを支える、最大のサポーターなのではないかと思うんです
でも本来、子どもはコントロール不能な存在。いかに子どもの気持ちを尊重して育てていくかによって、その子が発揮できる能力も変わってくるのではないでしょうか
『日本の学校は暗記する勉強が多く、自分の考えを話し合えるような場ではないから』と言いました。彼女がそのような考え方をするようになった、直接的なきっかけとは言えないかもしれませんが、私は娘と二人で旅行をし、様々なカルチャーを見ていました。
いくら海外で学ぶことが大切だと親が思っていても、『留学しなさい』と親に強要されたら、娘は行かなかったと思うんです
私は娘に対し、幼稚園の頃から、『あなたはどう思う?』『どうしたい? どんなふうに考えている?』『どう感じている?』という問いかけを、ことあるごとにしてきました
表現力は今の子どもたちにとって、とても大切な力ですよね。その力を付ける訓練は、実はこうやって家庭でできることなのだと思うんです
小さい頃からいろんなことを、なるべく子どもが決められるようにしていました。例えばお稽古事もそうです。習うものはすべて自分で決めるようにように水を向けていました
私は『ピンチだったらもうこの先頑張るしかないでしょ』と伝えました。その後、必死になって練習して弾けるようになりました。自分で決めてそうしていたからこそ、納得して頑張れたのだと思います
才能のない子どもはいないんです。ただ才能より『こうなってほしい』という親の理想が先走ると、子どもの才能を見逃すことになりかねません
子どもと一緒にいられる時間は、瞬く間です。一緒にいる時間を大切に、抱きしめるように過ごしてください
小学生の頃、バレエが大好きでよく母に観に連れて行ってもらいました。家にあったクラシック全集でバレエ音楽を毎日聞いていたのが、音楽との出会いでした。
十代になってからは、いろいろなジャンルの音楽を聴きました。特に荒井由実(ユーミン)は新しい音楽……特に歌詞の世界に目を向ける大きなきっかけだったと思います。
クリエイターではなくデスクの仕事をしていたのですが、自分の才能で生きていく道をひらきたく、そう声をかけられた翌日から猛勉強をはじめました。
あるプロダクションのプロデューサーを紹介され、アイドルのアルバムに2曲歌詞を書くことが決まりました。
作詞家デビューをした80年代半ば頃から、バブル期、アイドル全盛期もあり楽曲の制作数がものすごく多く、ほぼ毎日歌詞を書いていたような記憶があります。
前に行ったアメリカのセドナで見た、地平線に突き刺すように光った稲光を思い出しました。天と地をつなぐエネルギー。そんな歌にすればいいのだと思ったのです。
これからも歌やエッセイなど、言葉を通して発信し続けていきます。これは、私がどのように成長していくのか、その証となるものです。