引用元:原研哉
今回は有名な「原 研哉」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「原 研哉」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
原 研哉とは
1958年生まれ、岡山県岡山市出身のグラフィックデザイナー。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科教授、株式会社日本デザインセンター代表取締役。日本グラフィックデザイナー協会副会長を務める。
1998年長野冬季オリンピックの開会式・閉会式プログラムを手がける。同年山口県の梅田病院などのデザイン計画に関わる。2000年RE DESIGN展で世界インダストリアルデザインビエンナーレ大賞を受賞。以降、世界各国を巡回。
2001年松屋銀座のリニューアル計画、深澤直人と共に無印良品のボードメンバーに参加。2004年HAPTIC展、FILING展開催。またこの年より教鞭をとる武蔵野美術大学の卒業年次の学生と共にEx-formationという共同研究を開始する。2005年の愛知万博のプロモーションを担当。2007年SENSEWARE展開催。ほかに商品のデザイン、世界各地で企画展示・個展などを多数開催。
2015年7月、2020年夏季オリンピック東京大会の公式エンブレム入選3作品まで残った。2015年11月、次点作となった自身の作品と展開例を公開し、花火になるエンブレムなどの13のコンセプトを説明。
広報文化施設ジャパン・ハウス総合プロデューサー。
2021年3月、Xiaomiの新しいロゴをデザイン。
原 研哉の名言集
むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することにつながる
思考の総量だけが、デザインの質を決める。
白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。だから白を探してはいけない。白という感受性を探ることによって、僕らは普通の白よりももう少し白い白に意識を通わせることができるようになる。
何もないテーブルの上に箸置きを配する。そこに箸がぴしりと決まったら、暮らしはすでに豊かなのである。
何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。
自然とつきあうということは「待つ」ということであり、待つことによって自然の豊穣が知らぬ間に人間の周囲に満ちる。
デザイナーは受け手の脳の中に情報の建築を行っているのだ。その建築は何でできているかというと、様々な感覚のチャンネルから入ってくる刺激でできている。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、さらにそれらの複合によってもたらされる刺激が受け手の脳の中で組み上げられ、僕らが「イメージ」と呼ぶものがそこに出現するのだ。
デザインは技能ではなく物事の本質をつかむ感性と洞察力である。だからデザイナーの意識は社会に対していつも敏感に覚醒している必要がある。」「新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。
私はデザイナーとして仕事をしてきた中で、いかに受け手の頭の中にイメージを喚起させるかを考えてきました。
人と意思疎通を行うときは、一方的に情報を投げかけるのではなく、むしろ相手のイメージを受け入れる方が有効である場合が多い。つまり、“いかに多く説得したか”ではなく、“いかに多く聴けたか”がコミュニケーションの質を左右します。
そもそも「エンプティネス」は、古い日本文化の中でずっと大切にされてきた考え方で、今でも日本人の性質として受け継がれています。
「知っている」は「消費する」ことだと思うのです。だから、ブランドを表現する人たちは、その「消費」から逃れなければいけません。
ブランドは理解されてはいけない。常に消費者からの理解から逃れていくということが、ブランドを新鮮に維持するうえでは重要なことなのです。
いかに受け手の「知らなかった」を引き出し、コミュニケーションの可能性や余地を作り出していくこと。それが「未知化」です。
西洋技術は、人間工学的に誰が使っても一定の成果をあげられるように物を進化させてきましたが、日本の場合は素っ気ないものを基軸において人間の技をそこから高度化させていく、という発想があります。つまり、使い手や受け手の能動性を高めるような余地をデザインしているのです。
大切なのは「受け手の頭の中にある膨大なビジュアルの記憶がリソースだ」ということです。
1つのビジュアルがトリガーとなり、どれだけたくさんのイメージを脳内に立ち上げられるかが勝負になるので、1枚の限定された表現で頭の中のイメージを固定してしまうことはやらない方がいいわけです。
空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。
大学三年生の時 ── 自分が書いた手書きの原稿が完璧に美しい組版になってあがってきたのを見た瞬間に、ものすごい衝撃を受けたんです。写植屋さんが、「あの時の原さんの嬉しそうな顔を見ただけで、写植屋をやってきてよかったと思った」と。
明治維新で強烈な西洋の文明にさらされて、混沌にたたき込まれて、今はその混沌の極みにいる。この混濁を鎮めてきれいに澄ませていくには、もう200年ぐらいかかるんじゃないかな。