私は常にチャレンジすることを貫いてきました
時代が変われば、非常識が常識に、不可能が可能に変わることがあります。時代に合わせて柔軟に考えることが必要です
知識は、それだけでは何にもなりません。学んだことをどう活かすかを考える。活かし方がわかって初めて意味を持つのです
自己否定をできず、成功体験にあぐらをかいていると、自社を取り巻く状況が変化したときに必ずやられてしまいます
どこの国でも人間性の基本は変わりません。髪の色や肌の色が違っても、交渉するうえで一番大切なことは誠実さです。小手先のテクニックは、誠実さには絶対におよびません
苦境に立たされても動じず、むしろそれを好機ととらえられるようになったら、そのときはもう何が起ころうとビクビクすることばない
戦略とは経営者自身の自問自答の結果生まれてくるものです。戦略に納得がいくかどうか、そしてそれを証明する根拠があるかどうかと自問自答を繰り返すことで、より大きな戦略になります
過去に正しかったことが、未来でも正しいでしょうか? ウィンストン・チャーチルは、「過去にこだわる者は未来を失う」と言っています
過去の知恵に学ぶべきことはたくさんあります。しかし、大事なのは、歴史を現在に、また自分の仕事に照らし合わせることなのです
まともな動機とやり方できちんと儲けて、その金を私利私欲ではなく、他人や社会のために使えばいい。そうすれば、それは巡り巡って最後には自分に返ってくる
ひとつの欲求から派生するあらゆるニーズをワンストップで提供できたら、お客さんは他に行く必要がない
人に「人徳」があるように、会社には「社徳」があると思います。会社の「社徳」には上から下まで徳性の高い、よく磨かれた人が必要です
才能はそんなに大きな差はなく、努力をするかしないかの方がよほど重要です
今の若い人から我々のような世代が学ぶ事も沢山ありますし、逆に我々のような世代から今の若い人が学ぶ事も沢山あるわけで、異質な感性を有するであろう者同士が互いに夫々の大きく離れた世代から学べば良いのだと思います
人は立場が上になればなる程に、部下の前で知らない事柄を素直に「知らない」と言うのが難しくなるものです。それは「うちの上司は、そんな知識もないのか」等と馬鹿にされるのが怖くなるからです
私の見ているところでは、人は年を取るに勉強し続ける人と勉強しなくなる人にはっきりと分かれてき、取り分け後者は70歳を超えて駄目になる人が多いように思われます
そもそもがselfishは飽く迄も自己中心的であって日本では之を利己主義というわけで、私が知る限り日本のみならず漢字文化圏にあって基本、個人主義をそうした形で不明瞭には用いないものと思います
「プロ経営者」を採るべきか否かに関しては、それはその会社の風土や文化あるいは発展段階にも拠ることだと思いますが、根本から抜本的に大きく変えないとその会社は退歩あるいは倒産するという場合、時としてそうした決断も必要になるのかもしれません
うまくいかなくて当たり前だと思えばこそ知恵も出ます。A案が駄目ならB案、C案でと用意する。A案だけ考えて、うまくいくはずだと思うから、駄目だったときに打ちひしがれてしまうのです。
仕事を自分自身の金儲けのためや生活の糧を得るたものものだと考えると、人生はつまらないものになります。世のため人のためになることをするからこそ、そこに生きがいが生まれてくるのです。