僕は中学生の頃から、お芝居に興味を持っていました。なぜなら、とにかく人前に出て目立ちたかったから(笑)。今も当時の感覚のままなので、実はお芝居に対して“仕事”という考えを持ったことはあまりないんです。
自分が「こうありたい」と思うものを突き詰めたら今の場所にいたので、本当にやりたいことをやっているだけ。でも、いくら「やりたい」と思っていても、オファーしてもらわないと何もできません。だから僕に「こういう役を演じてほしい」と言ってくださる方がいるのは、本当にありがたいことですよね。
よく考えているのは、「ゼロを1と言ってはいけない」ということ。自分の中に1しかない要素だとしても、それを100まで増幅させて演じるんです。でも、ゼロのものを1と偽ることはできません。
僕は、役を自分に引き寄せるタイプです。演じる役と同じ一面があるかという、とっかかりとなる軸があるかないかが、とても重要なんですよ。
前室という、スタジオのすぐそばにある部屋を使っているんです。前室は、出番の近い人が待機する部屋。僕はそこで着替えやメイクをしながら、とにかく通る人みんなに話しかけています。
役者さんもスタッフさんも、同じ作品に関わり、一緒につくり上げるチームなのだから、僕は最初から「仲が良い」ということにしています。初対面なのに、友だちのように話しかけることも(笑)。
最初はなかなか喋らなかった人との距離も近付きますし、僕がいない場でもみんながコミュニケーションを取り合ってくれます。そういう様子を見ると、思わず「よし!」と思いますね。
自分自身がお芝居をしやすい環境をつくるためには、チームが仲良くまとまっているのが一番でしょう。だから、あくまで僕のわがままでみんなにも仲良くしてもらっている感じかな(笑)。
あまりにも似たような役柄ばかりだったので、俳優の先輩である金田明夫さんに相談したところ、「それでいいんだ」と言われまして。「日本のドラマで、小狡い中間管理職と言えば八嶋と言われるようになればいい」と言ってくださったんです。「そうすれば、いつか必ず違う役が来るから」と。
その後、本当にいただく役柄に変化が出てきました。最近では、いわゆる“良い人”の役が多いですね。そうやってできあがっている僕のイメージを壊したいと考える作家さんや、演出家さんが現れてくれるんです。そんな巡り会いを待つのが、俳優の仕事なのかなと思います。
僕は、声をかけていただけるなら何でも挑戦してみたいんです。自分だけの判断で、「この仕事だけをやる」と考えていたら、自分の可能性が先細っていく気がします。経験がないからこそ、何事もやってみないとわかりませんからね。
すごい人たちと共演してるけど、お前がやっていることは当時から変わらない
正義感を持って弁護士になったけど、それだけじゃなくて、「この仕事がうまくいったらお金がこれだけ入る」と考える野心も少しある。そういう正義感とか野心とかを少しずつ持っているのが、普通の人なのかなと思います
実際に使われてはいないけど、本当にたくさん撮影したんですよ。その積み重ねの中から、4人の関係性が雰囲気にも表れている部分を使ったのかもしれませんね。
この映画を観て何か疑問に思ったり、引っかかったりするものがあれば、ぜひご自身で調べてみてください。普段生活している日本の社会の中で、自分たちがどういう立ち位置にいて、どのように生きていくべきなのかというのが再認識できるのではないでしょうか。
新橋演舞場で、三木のり平さんが演じられていた役を、僕がやって大丈夫? という感じでした(笑)。でも、えりさんとの共演だということを聞いて、楽しみになりました。
えりさんは「なんであんなこと言うのよ!」って怒っていたので、いい掛け合いだったのかは分かりませんが(笑)。
“おとぼけ”、“抜け作”といった人物です。われわれ、現代人には計り知れないぐらいのヒエラルキーがあった江戸時代に、それを飛び越えて生きられるあほうさと、間抜けさと、みんなから「ばかだね」って言われながらも許されているチャーミングさを持っています。
もう何回もそんなやりとりをしているのに、何回やっても信じてくれるんです。そこが大好きです。大店の無垢(むく)なお嬢さんというお染のキャラクターにぴったりだと思います。
このコロナ禍でも努力して、のたうち回って、演劇を存続させようと立ち上がった、ジャンヌ・ダルクのような方でもあります。そういう意味で、すごく尊敬しています。