何だかわからないけれど体中の内臓が連動して、自分の意図に反して鳥肌が立つとか、ワクワクするというのが感動なんだから
僕は自分のところの役者にも、常々言っているんですよ。本当の感動っていうのは、「子宮で泣かして、睾丸で笑わせることだ」と
現実の世界も、暗闇の底には希望がある、そうであってほしいですね
作家として、いまの自分がすべきことは「ふるさと」をテーマに作品を作ることなのだと。それは自然に降りてきた発想でした
便利さを求め続けたことの代償は計り知れないほど大きい
日本人は便利であることが豊かさであると捉えています。しかし「豊か」を辞書で引くと「リッチであること」のあとに「且つ幸せであること」と続く。ならば、便利なことが私達に幸せをもたらしたかというと、それは違うでしょう。そういう思いを、作品を通じて伝えたかったのです
電化製品にどっぷりと浸っている子供達が、電気も水道もない生活の中に放り出されたら、何をどう感じ、どう動くのか?それを描いてみたいと思った。それが「北の国から」の原点でした。
言葉だけでは真実は語れない。真実を語るのは、人の態度である。
あといくつ、僕は作品を残すことができるのか。この歳になると、毎回、これが最後の作品だという気持ちで挑んでいます
50代後半の頃に、70まで生きられるとして、晩飯をあと何回食べられるか?と数えてみたことがあるんです。確か4000回くらいだったと思います。あと4000回しか晩飯が食えないと分かった瞬間、一食一食を大事にするようになりました
残りの人生で何ができるかを、常に考えています
今の日本に人々の心を揺さぶることのできる政治家がいないのは、国民と同じ目線で物事を捉えていないからですよ
3・11後の日本は、ますます奇妙な国になってしまった、と感じています
日本という国は、「ブレーキとバックギアのついていないスーパーカー」だと思っています
あらゆることの需要を仕分けていくと、そこには必然的に人間の生活はどこまで縮小できるのかという問いが生まれるわけですが、そうした視点があっても良かったのではないか
貧しさのなかに幸せがあった
森の時計は ゆっくり時を刻む
彼(高倉健)は、やくざ映画のころから、その人が白を黒だっていったら、黒だっていうくらい、その人が頭が上がらない、自分のリスペクトする人間が必ずいるっていうことがシナリオに書かれている。健さんの映画を書くときは、すごくそれを意識した
(石原)裕次郎さんも勝新(太郎さん)もスターというのは作られる役が誰も恐れないヒーローなんです
スターというのは神秘なもので、「こいつが離婚した」とかいうのは、役者としてやること、一つの役をつくるのと無関係。そういうものに役者として左右されたくない