上映時間です。44分でした。非常に潔ぎよいなと思いました。通常このようなテーマを扱って陥りがちなことは、悲惨さを強調しようとして長回しが始まる可能性があります。
作り手がどうしても必要だという意識があるなら別ですが、逆に作り手が自信もないのに、延々と(尺を)伸ばすということは、それは、ひとつの罪だと思っています。
「伝える」ということ、「思い」というものの意味を、間違えているんじゃないかと思った。
自分の中で悩み、苦しみ、せめぎあって、最終的に自分自身が決めなければならない。そういう意味で「時間」という概念は、非常に重要です。
あの大阪のおばちゃんの声はビンビン響きましたね。なぜこんなに彼女の声は聞こえるのか、そしてどういう風に演技指導やコントロールを行なったのか、ぜひお聞きしたかった。
基本的なことを言いますと、取材というのがものすごく大事ですね。フィクションにしても、ドキュメンタリーにしても、小説にしても、資料を集めて取材したベースになるものがないと、制作はできないんですね。
今の時代が作り手にとって、映画や番組が作りやすい環境になったかというと、あまり同意はできませんね。でも厳しい状況の社会だからこそ、創造物を作っていかないといけないんだと思っていますが。
自分は「国家と個人」をテーマにしようと思ってきました。国家という、時にとても非情で体制的なものの中で、個々人の人間はどうやって生きていくのだろうか。
この国を生きてきた技術者や営業マンたちは、どういう思いを胸に宿し、何と向き合って生きてきたのか、そうした人間の仕事や生きざま、そして成果を超えた夢、そうしたものを伝える番組を作ってみたいと思った。
監督優先ではなく、システム優先になっているわけです。そういう中で、こうした独立系の映画がどう戦っていくのか、それを考えていかなければいけない。
山川さんの映画なら何でも観てみたいと思うファンを少しでも増やしていくのが、山川さんや独立系映画監督の戦いじゃないかと思っています。
社会経験のない子どもに小説が書けるわけがなかったんです。小説とは極めて濃密な時間と体験を経て描くものですから
現地(イラク)で、イラク軍に撃墜されたアメリカ軍の戦闘機を探して広大な砂漠をさまよったことがありました。
心身の疲労が限界に達したとき、気温60度の陽炎(かげろう)の中にF-15の機体が浮かび上がったんです。強烈なインパクトでした。あの情景を生涯忘れることはないでしょう
当時、不況だの負け犬だの、そんな番組ばかりでした。けれど、私はもう一度思い出してほしかったんです。
1945年、日本がこっぱ微塵(みじん)に破壊された後、わずか数十年で駆け上った時代があったことを。本来、日本人は極めて優秀なのです
日本には有名人がたくさんいます。しかし日本という国は、地の底で泥や汗にまみれて働いた無名の人たちがつくってきました。その人たちのために曲をつくってくださいませんか
それが一過性で花火のように散る光だったとしても、この光の中にいられるのは幸せなことだと思いました
よく一番思い入れのある回は?と聞かれるのですが、ないんです。楽に撮らせてもらった回など一つもないし、最後の一秒まで執拗(しつよう)にこだわった番組です。出来の良しあしはあるにしても、どの回も私にとっては本当にいとおしい
テレビは総合芸みたいなものです。たくさんの人の力と膨大な資金がなければ、そうそう良い作品は生み出せません。