引用元:今井彰Twitter
今回は有名な「今井 彰」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「今井 彰」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
今井 彰とは
今井彰 (いまい あきら、1956年 - )は、大分県佐伯市出身の元NHKエグゼクティブプロデューサー、作家。名古屋経済大学客員教授。
1991年、NHKスペシャル「タイス少佐の証言」を制作。文化庁芸術作品賞を受賞。
1994年、NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」制作。東京地方裁判所で検証物・証拠として上映された。日本ジャーナリズム本賞受賞。
2000年〜2005年、「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」制作統括。
2005年、NHKエグゼグティブプロデューサーとなる。
2009年4月、NHKを依願退職。
2010年、処女小説『ガラスの巨塔』(幻冬舎)を上梓。
2010年11月 エッセイ『ゆれるあなたに贈る言葉 (小学館)
2011年、フジテレビ系JFN大賞「独裁者が生まれた町」監修。同年、JFN「オンザウェイジャーナル 今井彰のヒューマンアイ」パーソナリティ。
2012年、名古屋経済大学客員教授となる。
2018年9月 実在の人物をモデルにした小説 『光の人』を出版 (文藝春秋)
参考:Wikipedia
今井 彰の名言集
誰かの役に立てると思えたとき、その仕事は面白いものになる。
思いはかなう。努力する人間を運命は裏切らない。道は必ず切り開ける
動画配信サービスのエンジニアです。動画をサクサク見えるようにする、止まらないようにするインフラづくりが仕事
私が所属する開発部門の人数は数十人。仕事内容は、「技術上の問題解決」です。
技術知識がないと予測すらできない。こうなると法務部でもおいそれと手が出せません。結局、ライセンス交渉をやっている私が、契約書の方も自力で精査していました。
契約関連の仕事は今でもつらいし、面白くはないです。ただ、それとは別に、オレ、けっこうできるな、という「自信」、この仕事、自分しかできないな、という「自負」は感じています。
動画については、20数年前の、それこそWindows95の時代から、動画配信サーバの手作り、衛星伝送、ファイバー伝送、球場からのライブ生中継など、いろいろな仕事を経験しました。
彼は一週間の半分は海外出張というぐらいバリバリ働いていました。その彼と飲んでいたとき、「オレ、いまKITに通ってるんだよね」と言います。あれだけ働きまくっている人が、さらに社会人大学院に通っている。だったらオレも行くしかない、そんな気持ちになりました。
自分のバリューをもっと上げたくなった
メディア&エンタメの授業があまりに面白く、これをもっと究めたい
自分の仕事について、もっと高い視点を持ちたい
人は、何らかのコンテンツを見たとき、どう感じるか、なぜそう感じるのか?
研究論文は高く評価され、学位授与式のときは修了生を代表して、謝辞を読む栄誉にあずかりました。
KITの強みである知財の授業も受けています。ここでは、自分が実戦を通じて得たノウハウの裏に、実は体系、法則があることが分かりました。
自分の「知識・ノウハウ」が外の世界でも通用する「武器」に変わった気がするのです。これで自分の価値はさらに上がった。KITで学んで、本当に良かったと感じています。
上映会の主催者である鈴木沓子さんから、トークイベントのお話をいただいたのですが、私は現在長編の小説を書いていて、とても時間がなく、一度はお断り申し上げました。
鈴木さんは非常に強引な方で(笑)、今度は『あんたの家』のDVDを家に送りつけてきたんですね。でもその作品を観て、「これは出席しなければいけない」と思いました。
「もう逃げない」ということ。そして、生きるということは、戦うことなのだということ。そして人間というものは、戦うことなしに、生きてはいけないのだということ。
「頑張るんだ」、「生きるんだ」という台詞を言わせることが多い。しかし「働く」と言ったんですね。生活の糧を得るんだと。
老々介護などの)テーマを扱っているにも関わらず、全体のトーンが暗くない。陰々滅々とした映画ではなく、すごく明るい。