自分が例えば『スラムダンク』を書いて、「ああ、井上雄彦はバスケマンガの人だな」と世の中から見られるようになったときに、ずっとそこにいるのはもう絶対に嫌なんですよ。
大切なパーツは目です。
(ネームに入る気分は?)山に登るという感じですよね。一回入らないといけないんで日常から切り替えて。
筆のやりたいようにいくっていう感覚が強い。
筆に任す。
連載はライブですね。生き物ですね。
カラスはよく見ると美しく力強い姿形をしていて、時々見惚れてしまいます。
僕の心の内側で、ガウディと共有できる部分があるとしたら、自然に対する畏怖の念や、絶対的な信頼じゃないかと思います。
(バカボンドが)終わると分かってから色々な思いって出てきますよね。
何かが作られていくプロセスに「これは面白い」と人々が惹きつけられて、より良いものになっていく。それはマンガの連載もそうですね。
僕は最初『ドカベン』の模写で始まっていますからね。小学校の頃、『ドカベン』を見て絵を描いていました
武蔵を描くことで、「日本人とは何か」というテーマにたどり着けたらと思っています
幼い頃は『1・2の三四郎』や『ドカベン』などが好きでしたが、『男組』から池上遼一さんに傾倒しました
(バカボンド)の下書きの段階で、常に裸の肉体から人間を描き始め、画(筆)と肉体を一体化させる
小次郎に限りませんが、たいていは計画にはないことを登場人物が始め出して、それでその人物を好きになったり、「この子は何でこうなんだろう」というのを考えだして、もともとなかった設定を考えたり、脇役のはずが主人公級になっちゃう。そういうときは最初は「我ながら無茶なことをやってるな」と思うんだけど、でもやり始めると自分が乗ってくるというか、キャラに乗せられて、こっちも乗ってくるようなところはありますね
昔、すごく調子が良かった時に5時間で3話分できたことがあった
最初の頃とかは、どんな反応をされるとか、まさにわからないで描いていたりするので。自分が思った以上に周りが反応してくれているっていうのはありました
マンガの絵は、どこか「分かったつもり」で描いている。そうじゃないと描けないんです。「こういう顔なんだ、こいつは」というのを決めないと成立しない。でもずっとそれをやっていると、「何かがくっついちゃっている状態」になっちゃう
人物というのはもうキャラクターですから、「自分が知っている範囲」の絵にどうしてもなっちゃって、なかなかジャンプできません
『リアル』は「普通のもモノ作り」といえばいいんでしょうか。材料が目の前にいくつかあって、僕はそれを料理するというか、組み立てる。そういう工程が「リアル」なんですね