僕自身、別に流れに逆らって泳ごうという気は毛頭ないんですけど、同じ業界の人を見てきていると、その流れに逆らうことに美徳を感じている人たちもいたんです。
客観的に見ると、流れに逆らって漕いでいるから、ほぼ止まっているか、ちょっとゆっくり流されているんです。それであれば、流れの方向に思いっきり漕げばいいんですよね。どうせ流されるんですから(笑)。
俳優たちも同じで“こんな役をやりたいけど、一向にそんな役が来ない”とか、そういう不安と不満を抱えていて、要はカオスなわけですよ(笑)。
心のどこかには“届くといいな”というくらいで、いっぱいいっぱいなんです。
台本を作ってクランクインしたら、あとはアップまでどうやって漕ぎつけるか。スタッフの睡眠を確保しつつ、会社が潰れない程度に予算を少々オーバーして(笑)、精一杯なんです。
歌舞伎町の裏で、わーっと作ったものがどこかにつながっていく。
映画を作るという志というより、作るという行為そのものに感謝するというか、そういうところはあります
僕らが今“うーん、これはどうなんだ?”と思うのは、むしろコンプライアンスよりも働き方改革の方です。
映像の美しさにしても、何をもって美しいかというのは人によって違うし、どれがいいか悪いかというのは中身の問題なんです。
毎回現場で熱を何かしらであげなくてはいけないし、熱があるように演じなきゃいけないんです。毎朝、熱を無理矢理起こすわけです。
たとえばアメリカはすごいシステマチックに動いていて、助監督は助監督で監督にならない。自分のやることが決まっていて、台本がなくてもできる仕事の人には台本も渡さない。
まあ今でいうと、ワールドカップの日本のラグビーみたいな仕事はできないわけですよね(笑)
成長してないんじゃないでしょうか?(笑)。あえて言うなら、成長しなければいいんじゃないかと(笑)。
脚本の加藤陽一さんは以前からシリーズを通して、「暴力で解決しない」ということを作品の基本的なルールの一つと掲げていました。
悪いことをしている人の中にも、良心や優しさがある。逆に優しい人でも、心のどこかに悪い心があって、それを誰かに利用されると悪者になってしまうこともある。
これは「キャスティングしてほしい」ということなのかな……と、察しました(笑)。
柳沢さんは、アドリブが好きなんですよ。台本上で必要なことをやり、そのプラスアルファとして何かをやり始めるんです。
何かを身に付けると大事な何かが薄れてしまうことがありますが、そういうところが全然ない。
あまりあれこれと決めたくなかったんですよね。何が怖いかは人それぞれだし、「こうです!」とくくるとワンパターンに陥ってしまう。
自由を奪って型にはめていくことはつまらない作業ですよね。