初めてのキャンペーンで、挑発する余裕なんてなかった。
これまた過ぎ去っていくだろうという気持ちで記事を見た。別に言うことはない
韓国映画が過去20年間に目覚ましい発展を遂げた一方、若い監督たちが冒険的な試みをするにはより厳しい環境になった
活力を取り戻すためには、主流の映画産業が冒険をおそれず、挑戦的な映画を取り込まなければならない
最近、独立映画を見ると、多くの才能が花咲いており、結局産業との良い衝突が起きると信じている
構想を練り始めたのは13年で、3、4年かけて頭の中で熟成させた。
今回の映画は『母親がどこまで息子のために暴走できるか?』ということが核だったので、ではどういう息子だったら母親はあそこまでのめり込めるのか、逆に考えてみたんです。
どんな息子だったら、1分1秒たりとも目を離せないだろうと。そう考えたら、息子はおそらく純粋で、どこか不安要素がある存在だと思ったんです。
TVや映画で見る姿ではなくありのままの姿のウォンビンさんに会う機会があったのですが、そのときに受けた印象というのが、田舎で生まれ育った、すごく自然な姿で、農村で育った経緯というのが伝わってきたんです。
顔の片側しか見えないということは、もう一方は隠されている状態になりますよね。トジュンには何か、他人が知りえない秘密が隠されているのではないか、というのを示したかったんです
顔は正面を向いてるけど、手で目を隠すことで側面のような表情になる。やがてその手を離すと傷があるという、そういう映像に惹かれたんです。
彼の目は、まるで魚の目を見たときのような気持ちにさせるんです。何の表情もないようだけど怖い気持ちになるような。
とても素敵な目が撮れたと思います
動物のドキュメンタリーなど特別なものではないかぎり、やっぱり人間というものや環境による人々の変化を描きたいと思っています。
SFというジャンルであれば、よりストレートに、リアリティというものにとらわれずに表現できると思うんです。『スノーピアサー』ではそのステージが汽車です。
列車自体がひとつのシステムになっていて、システムのなかでもがき苦しむ人間というものを、よりストレートに表現できる良い機会になったと思います。
作品を通じて、人間の本質というものをより直接的に表現できたと思います
前へ前へと攻めていく集団、彼らを防ごうとする人々の衝突が必然的に大きくなり、より強いエネルギーになるのです
動き、そして躍動感。映画は、モーションピクチャーと言われているように動きというものが大切だと思います。
『スノーピアサー』は、すべてが激烈な映画にしたかった。