引用元:DEAN FUJIOKA
今回は有名な「ディーン フジオカ」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「ディーン フジオカ」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
ディーン フジオカとは
1980年〈昭和55年〉8月19日,福島県須賀川市生まれ。俳優、シンガーソングライター、映画監督、モデル。
2004年、香港のクラブにおいて飛び入りでラップを披露していたところ、客席にいたファッション雑誌編集者にスカウトされる。香港を拠点に雑誌や広告、ファッションショーなどでモデルとして芸能活動を開始。
2006年、台湾ドラマの創始者とも言える柴智屏と出会い契約、台湾のデビューを果たす。
俳優業とは別にクリエイターとして独自のネットワークと言語を駆使し、アートとエンターテイメントを融合する表現活動の可能性を模索していたところ、2011年に現所属事務所・アミューズと出会いUTC+7 - +9の時間軸の中で、アジアを中心とした縦移動のライフスタイル/ワークスタイルに双方共感し所属契約を交わす。
2018年2月、初の全国ツアーを開催。
2022年1月、自身が企画・プロデュースを手掛けた主演映画『Pure Japanese』が公開予定。
ディーン フジオカの名言集
僕みたいな世界のあちこちで仕事をしている人間は、パーマネントトラベラーって言うんですよ。一年のうち、どの国にも滞在期間が183日に満たない人間のことを。
誰かに雇われるんじゃなくて、自由に何かをしたい、と。
人生は限られているので、やりたいことは全部やること。迷わず飛び込んで、ダメだったらきっぱり辞める。
引き際も大事。見極めて、他にやりたいことにチャレンジすれば良いと思うんです。僕自身も自分の直感を大事にして、色々トライしています。
まずはトライする。向き不向きが分からないとか、やりたいけどまだ準備ができてないとか、色々あると思いますが、初めて見れば何か見えてくるかもしれませんし。ただただ、行動あるのみです。
毎日努力をして最終的に振り返った時に、ただ無為に過ごしていたら生み出せなかったものがある。達成感もありますよね。
単純な待ち時間や移動時間にも、そこで自分の五感に訴えるインスピレーションや気づきがあるかもしれないですから。
『あのときがあったから今がある』と思えるように、経験値を貯めていけたらなと思ってやっています。
ずっと、仕事があるところに住むというスタンスでやっていますね。日本、台湾、ヨーロッパ…。そして家族はジャカルタにいますし。
俳優になるかどうかっていうのは、僕にとって最初から明確に目標があったわけではないんです。流れで、生きていくためにいろいろやった結果、こうなったというのが強いんですね。
人間、明日何が起こるかわからないじゃないですか。いきなり声が出なくなるかもしれないし、怪我して体が動かなくなるかもしれない。だからこそ、まずは健康第一、安全第一で。人生一度きり、限られた時間をやっぱり大切にしなきゃなって思いますね。
我が家は、子供たちが英語を勉強する時間も設けられていたんですよ。父は海外での仕事が多かったのもあって、映画や音楽など日本以外のエンタメ作品もよく持って帰ってくれていたし、そうやって日本以外の文化に触れることは多かったんですよね。だから自然と視線が海外に向くようになって、それで大学はアメリカに進学したんです。
父はまだ日本でもインターネットがあまり広まっていない時代から、モデム回線でインターネットにアクセスしていたような、そういう仕事をしていたので、すごく新しいものや、外の世界のものに対する興味があったんだと思います。地球儀を買ってくれたりとか、そういうところで、好奇心をうまく引き出してくれた父親だったんだなあって。今、自分が父親になってみてそう思いますね。
小さい時から、父が出張のときに「お土産買ってきてくれ」っていうと、アメリカのお土産や、映画だったり音楽だったり...、父方のおじいちゃんおばあちゃんの家に行くと、中国語の本だったりがあって、日本以外のものに触れ合う家系だったんです。
サボってんじゃねーよ!30過ぎた社会人が自分だけ頑張ってますっていうのはサボりだ。
お前は同僚を注意するより残業するほうが楽なだけだろ?自分が働くより人を働かせる方が難しいんだよ
貰うよりあげるほうがいい
死体は誇り高い。生きてる人間みたいにウロチョロしない。俺が教えてやる
泣きたくなったらディーンフジオカ
心臓を刺すと血が出る。心を刺しても血が出ない。でもおんなじことなんだよ。あんたが殺したんだ…わかってる?