引用元:みのもんた(公式アカウント)
今回は有名な「みのもんた」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「みのもんた」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
みのもんたとは
1944年〈昭和19年〉8月22日生まれ、東京都世田谷区出身のフリーアナウンサーで、総合司会者、ニュースキャスター、タレント、実業家である。
1967年(昭和42年)、文化放送に入社。
1979年(昭和54年)9月に文化放送を退社。
父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、10年間全国を営業で回った。
1989年(平成元年)4月から『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の総合司会を担当。番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築くに至った。
1999年(平成11年)10月、父親が経営する「日国工業」を受け継ぎ(それまでの自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。
「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表。その後、同2013年10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された。
2020年(令和2年)1月23日、読売テレビはみのもんたが『秘密のケンミンSHOW』を3月をもって降板することを明らかにした。
みのもんたの名言集
楽しいから働く。僕が働く理由はそれだけです。
仕事とは、本来選ばれるもの。僕が選ぶだなんて、おこがましい気がしてなりません。仕事が僕を必要として選んでくれるのであって、断じて僕が仕事を選ぶわけではありません。
どこの番組制作会社が作ろうが、僕が間違ったことを言ったとしたら、僕の責任です。『お前が書いた原稿だ』なんてことは、絶対に言えない。それだけはいつも肝に銘じています。
金で苦労してきた僕は、嫌というほど金のありがたみを知っています。だから、僕はバス停やタクシー乗り場などで1円玉が落ちていると今でも必ず拾います。
僕は1億円持っているけど、1円を拾うよ。
僕は今でも『本業』はニッコク(水道メーター屋)の経営者だと思っています。そのため、会社が軌道にのった今でも、経営は絶対人任せにはしません。
どんなに遅くに帰っても、自宅の書斎で全国の営業所から届いた書類に目を通すのが毎晩の習慣。それが無理な場合は、どんなに眠くとも翌日の朝早くには起きて、確認し、早々に指示を出す。
『朝ズバッ!』の収録が8時半に終わると、楽屋に待機してもらっている秘書と総務の担当者と毎朝の打ち合わせを行う。ここで、銀行印が必要な書類や、重要な書面、手紙類に目を通し、しかるべき処理をするのです。
夕方になると経理担当と話し、一日の入出金事項を確認。資金調達や銀行との折衝など、細かい事項を確認し、指示を出します。
テレビ局からテレビ局へ移動する時間は、書類に目を通す時間に充てています。番組の収録以外の時間は、ほとんど経営者としての仕事に費やしているので、ボーッとする時間もありません。
数字に強いことは、経営者にとっては必須条件です。そして、僕は、何も経営者だけに限ったことではなく、リーダー的な仕事の人には等しく必要だと思います。
社員に頑張って欲しかったら、社長はまずは自分が頑張るしかない。人材教育の第一歩は、まずは社長が社内一働くこと。僕はそう考えています。
社員を信じられなくなったら、経営者はおしまいです。と同時に、社員から信じてもらえない経営者も終わりだと僕は思うのです。
僕が目指す会社作りは、社員が仕事と家庭を両立できる会社にすること。自分が仕事にかまけて家庭を省みなかった反省の意味もあり、社員には家族を大事にして欲しい。そう思うのです。
ロシア経済が疲弊している。北方領土を買ってしまったらどうですか。
私なら一発で焼却処分(ゴミ屋敷を)にしちゃいますけどね。ナパーム弾でも落として。
もうはっきり言って廃業してもらいたい。こんなバカなことをやってる不二家がね、そのまま社長が交代したからといってね、メーカーとして存続できること自体がおかしい。
大阪府職員は大阪府に迷惑料払え。
山は登り、谷は乗り越え、落とし穴に落ちてもはい上がれ
北方領土を買っちゃえば
まとめ
今回は「みのもんた」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「みのもんた」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。