一端お引き受けした事は、どんな仕事もすべて同じに全力で臨みます
知り合った方、或いは全く知らない方々が私のことをこう起用してみたい等と企画・宣伝して下さり、それなりに選別はしますが、依頼された仕事を出来るだけ引き受けて、一つ一つお応えしてきただけです
今のような形になるのに、ストラテジーとか、そういったものがあったわけでもなく、いわゆる営業活動をこちらからしてきたわけでもありません
なにより書の素晴らしさや楽しさを直にお伝えできますし、また同じ人たちと長い期間、お付き合いすることができることは、私自身の人間力を培う意味でも大切な機会です
書道教室はいろいろな意味で私のベースです。ビジネスとしてみた場合も、200人~300人の生徒さんがおり、安定的な収入源となっています
よくWIN, WINということがありますが、私は当事者だけでなくお客さんも含めて関係者全員がWIN, WIN, WINになるように、その面では妥協せず、ぎりぎりまで追求しています。これは私のこだわりです
ここ2年くらいは数字に惑わされることもありました。最近では、やっとそうした感情から抜け出して数字を楽しむことができるようになり、下がれば、なぜだろう・・上がればただニンマリとしています
私自身はTVでも、他の仕事と同じ気持ちで臨んでいるつもりなのですが、やはり周りには『数字(視聴率)が取れる男だ・・・』とそれなりの期待があります
『伝える』ということは書でもTVでも大変難しく、TVの舞台裏では多くのスタッフが視聴者のことを必死に考えています。私も、そうした中で自分が今できることを、ひたすらやります
ビジネス的に言うと一回の出演料がいくらで、その中に作品も含まれるということになります。題字やロゴの仕事も同じです
パフォーマンスの際の作品は、依頼主やスポンサーの方々のご希望に沿って差し上げています。作品をここ(事務所)に置くには、あまりに巨大ですしね
創作は一点集中ですが、パフォーマンスでは時間や空間、お客さんなど全体を意識します。またパフォーマンスの書は、いきなりドーンという感じで、終わってみると勢いがグッと詰まっています
途中経過が異なれば、百者百様の表現が生まれるのは当然です
生まれながらの芸術家という人はいません。誰でも何らかの形でビジネスをしたり、いろいろな経験を積んでいます
書も同じような側面があり、その書が、どういった時代に、どれだけの人に影響を与えたかが重要となります。つまり書いた人の人間力が問われているということで、逆にいえば、良い書を書くには、結局、人間力が必要です
日々の小さな選択を「ちょっとだけ」良くするだけで、数年後にはとんでもない変化が待っている。
何もない平和な日が、かけがえのない一日だと常に思える人でありたい。
僕は朝起きたときから、義務感をひとつひとつ打ち消す作業を続けています。「~しなければ」を「~したい」に切り替えるんです。たとえば、「顔を洗わなきゃ」なら、「どれだけ少ない水で洗えるか」とゲーム化する。「それができたら苦労はしないよ」と思われるかもしれません。たしかに最初は難しい。でも続けていると、少しずつできるようになります。
どうすれば相手が喜ぶかということを突き詰めていくと、必然的に「自分の一番得意なことを提供しよう」というところに行き着くんです。恋愛でも、僕なら心を込めて筆で手紙を書こうとなる。そうやって自分の強みを知って活かせれば、相手にも喜んでもらえるから誇示する必要がなくなるんです。
もちろん自分のすごさを誇示して成功している人もいます。でも、そういう人の周りに集まってくる人って、依存したい人ばかりです。だから、本人は頼られて相当しんどいはずです。一見成功してるように見えても、内面はボロボロという人も多いですし、なにより急激な環境変化にそういう人はすごく弱いのです。