引用元:SankeiBiz
今回は有名な「東野圭吾」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「東野圭吾」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
東野圭吾とは
1958年、大阪市生野区に生まれる。当時の街が1999年に刊行された『白夜行』や『浪花少年探偵団』シリーズの舞台となっているなど、作品には自身の体験が幅広く取り入れられている。
その後大阪府立阪南高等学校に入学し、2年生になった1974年、偶然手に取った小峰元『アルキメデスは手を汚さない』を読み、推理小説に初めて嵌る。同時に江戸川乱歩賞の存在を知り、さらに松本清張の著作を読み漁るようになり、やがて推理小説を書き始める。処女作は『アンドロイドは警告する』だが、現在まで内容は公開されていない。
その後、1981年に日本電装株式会社(現デンソー)に技術者として入社する。勤務の傍ら推理小説を書き、1983年に『人形たちの家』を第29回江戸川乱歩賞に応募する。結果は二次予選通過であった。
作家となってからは、著作が増刷されずに終わることも珍しくないなど、なかなかヒットに恵まれず、また文学賞に15回も落選するなど、厳しい時代が続いたが、1996年に『名探偵の掟』で『このミステリーがすごい!1997』の3位になるなど、にわかに注目を集め、1998年に『秘密』を刊行すると、一気に大ブレイクする。同書は映画・ドラマ化されたほか、第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞する。
以後、2006年『容疑者Xの献身』で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞するなど着実に評価を高めてゆく一方で、作家版の長者番付でも上位に顔を出すようになるなど、人気作家の仲間入りを果たした。
2009年5月に行われた日本推理作家協会の特別理事会で、大沢在昌の後任の理事長として選出され、同年6月1日付で就任した。2014年から直木賞の選考委員となる。
東野圭吾の名言集
負け戦なら負け戦でいい。自分の足跡ってものを残してこい
あなたの地図は、まだ白紙なのです。だから目的地を決めようにも、道がどこにあるかさえもわからないという状況なのでしょう。地図が白紙では困って当然です。誰だって途方に暮れます。だけど見方を変えてみてください。白紙なのだから、どんな地図だって描けます。すべてがあなた次第なのです。
どんなに短い人生でも、たとえほんの一瞬であっても、生きているという実感さえあれば未来はあるんだよ。あんたにいっておく。明日だけが未来じゃないんだ。それは心の中にある。それさえあれば人は幸せになれる。
あんなにいい加減な人間たちが、威張って生きている。あんな馬鹿なくせに、町長だったり、教育長だったり、警察署長だったり、宮司だったりする…どうして私たちのような真面目な人間が死ななきゃいけないの?そんなの、絶対に変よ。馬鹿馬鹿しい。あなた、がんばりましょう。私たちも、これからは負けないでもっといい加減に、気楽に、厚かましく生きていきましょう。
まずはやってみるーその姿勢が大事なんだ。理系の学生でも、頭の中で理屈をこね回すばかりで行動の伴わない連中が多い。そんな奴らはまず大成しない。どんなにわかりきったことでも、まずはやってみる。実際の現象からしか新発見は生まれない
人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。
物の価値ってのは、人それぞれじゃないですか。
ここで辞めたら、これからの人生、いやなことがあるたびに逃げちゃうような気がして続けてきたの。
生き抜こうとしない者には奇跡なんか起きないと思え
最大のピンチの後には、必ず最高のチャンスが来る。
何者でもありません。この町では、ただの新参者です
どんなスポーツにも、これでゴールインということはありえない。何かひとつ達成できたとしても、必ずまた新たな目標が生まれるものだ。そういうことを続けていれば、飽きるなんてことは絶対にない。結局のところ、飽きるとは挫折なのだ。
私を夢中にさせているのは、上達、ということだと思う。
俺を産んでくれたこと、感謝するよ。ありがとうな
都合のええ方法なんかはないよ。 嫌なことを避けて、道を拓くのは無理や。
殺人事件とは癌細胞の様なものだ。
生きているというのは、単に呼吸しているとか、心臓が動いているとかってことじゃない。脳波が出ているってことでもない。それは足跡を残すってことなんだ。後ろにある足跡を見て、たしかに自分がつけたものだとわかるのが、生きているってことなんだ。
銃というのはね、不思議な魔力を持っているんです。手にすると誰でも引き金を引きたくなる。でも本格的に取り組むと、今度は引き金を引けなくなる。銃の恐ろしさを知ってしまうからです。射撃というのはその恐ろしさとの戦いなんですよ
人間が成長する最大のエネルギー源が好奇心
日曜日は至福の時だった。