ものから入門するところが情けない気もするが、前向きなのはいいと思った。
まだ秘密。でも必ず教える。お茶をくれたから。
最高のお父さんでした。私を最後にばななさんと読んだ遺志をついでよい仕事をします。お父さんがまだいるかたは楽しい時を、そうでないかたは良い時を思い出してくださいね!
夢をかなえるのだとなんだのと言っても、毎日はとても地味なものだ(中略)そういう細かいことにひたすら追われるだけだ。それがつまり、夢をかなえると世間で言われていることの全貌だった
きれいな緑や、海の満ち引きが、弱っている私には強烈すぎて、まぶしすぎて、苦しかった
私は子どもみたいに自分のことで頭がいっぱいで自分をまきちらしていただけだったが、会社にはいやな人がいるぶん、こうやってちゃんと人を見て、負担にならないように助けてくれようとする人もいる。
いつまで生きることができるのかだれにもわからないような世の中になっちゃったけれど、人間が生きるってかぎりない慈悲みたいなものの中で泳いでいるに等しいと思ったのだ。私が歩いてアリンコをぷちっと踏む。そのくらいの確率で人は死ぬ。だったら今こうしてとうふの甘みをかみしめている自分はなんてすごいことを許されているんだろう、今という時間しか持っていないけど、なんて豊かだろう。
みんなが私をどう思っているか知ってる、でも私はもう気にしないの、したいことをする、だって私の人生はもしかしたら短いかもしれないんだもん、と彼女のきりっとした顔つきは語っていた。
私は、妊娠していなくてしょげていたあのときでさえ、赤ちゃんがいる新婚さんを見ても一度もねたましいとは思わなかった。どうしてかって?それは私ではないし、わたしの赤ちゃんではないからだ。そういうのを妬ましいと思うのは、親からもらったねたみ癖がある人だと思う。自分がどんな境遇にいても幸せや赤ん坊はただただ無条件にまわりに力をくれるものだ。
「だったら、前からこういうふうにのびのび生きればよかったな。親が安心して、学校でもバイト先でもとけ込みやすい外見にして、発言も控えめにしたほうがかえって目立たないから自由に動きやすいって思いこんでいたんだよね。」
そこには確かにそれぞれの人生があって、別に嫌い合っていたわけではないのに、別れるしかやりようがなくて別れてしまった道があった。
「今は、全部白紙にして、気楽になったほうがいいよ。まずは。空気をたくさん吸って、余裕を持って。」
すがるという気持ちがなかったからこそ、親のことをありがたいと思った。生きていてくれて、そして私が生きていることを受け入れてくれて。
孤独に思えたのは、他のなにもかもを排除する状態の彼女に自分も排除されてるかのようだったから。
生きているかぎり朝が来る。なんてすばらしいシステムなんだろう。
私はいつでも私自身であり、欠けても満たされてもいない。それだけでもう、私はいつだってひとりぼっちだった。私のような「そのまま」の人は実はとても珍しいのだ。
みんな悲しいほどにいろんなことを背負って生きている。鈍くてあまり背負っていない人を見ると一目でわかる。彼らは不思議とロボットみたいに見える。背負ったことのある人だけ色がついていて細かく美しく動く。だから、背負ってしまってよかったな、そう思っていた。私は生きている限りは細かく美しく動きたい、そう思っていた。
解決ってほんとうに面白くて、ちょうど「これはもうだめかも」と思った頃に必ず訪れる。「絶対になんとかなるだろう」と思うことをやめず、工夫し続ければ、なんだか全然別のところからふと、ばかみたいな形でやってくるものみたいだ。
一同に介して誰かをしのぶとき、いろんな年代の人がいたほうがいい。これってつまり、そういうことなのだなぁと思った。
塗り重ねられた思い出は、なかなか透明にはならない。なんとなくねばっとした重い液体として、人生の澱として、沈んでいく。時間が経つと発酵して、切なく足を引っ張る。それでもやっぱり思い出はあったほうがいいと思う。切なければ切ない程、私達の足跡には深みが出るのだと思う。