行き来するものだと思うのですが、ファッションは西洋から日本へ流れていました。その流れの中を逆流したいという気持ちがありました。
じっとしていたり、黙っていたら始まらないわけでして、自分の考えなり、自分を表現すれば、相手をわかったというところで交流が始まります。
今まで、こうだったああだったというものが崩れていって、それが正しいという風に進んでいると思います。だから、あまり保守的な考え方になるのは、きわめて危険。
日本では「あの人変わってるわね。変じゃない?」と言われる事でも、海外では受ける。
日本では「以心伝心」という事が可能です。しかし価値観の違う国へ行くと、言うべきことをはっきり言わないと、伝わらない。無言のうちに了解済みなのに、という事は成立しません。
体験済みの未来なんか、ひとつもない。ダメかどうかは、やってみなきゃ分からない。
仮に二十世紀が「便利な時代」とか「デザインの時代」「テレビの時代」などと分析できるとすれば、二十一世紀は「人間讃歌」の時代ではないだろうか。
闘わずして結果を出せなかったのなら悔いが残る。しかし、真剣に闘って結果が「NO」ならばいいじゃないか。
極論かもしれないが、私は好きなことしかしない。
朝、出かけていくのが「しんどいな」と思うこともある。寒さの厳しい日は、このまま暖かい布団にくるまってもう一度寝てしまおうかという誘惑にかられることもある。そんな時はひとりのカッコイイ主人公に自分を置き換えるのが私の得意技。
パリの失敗以降、生活態度を一変させた。二日酔いの毎日をきっぱりやめて早寝早起きの毎日。
世の一流と呼ばれる人、成功した人々は、みんな「以上」という名の天才なのだと思う。
「最近の若い奴らは…」と嘆く大人もいるが、私はそんな言葉は使いたくない。彼らは彼らで、一生懸命何かを表現しようとしている。
親がこんなだと、子どもの方が「この親の言うとおりにして大丈夫だろうか?」と心配になるらしい。未来が書いた作文にはこうあった。「うちの父親は、普通の親とは逆のことを言います。言うとおりにしたら大変なことになるので、自分でコントロールしなければいけないと思いました」子どもというのは、なかなか賢いものである。
「服なんかなんでもいい」派は考え直して欲しい。装うことで自分を気遣う精神が大切なのだ。
名前も知らない、肩書きも年齢も知らない、国籍さえも分からない。けれど、パッと見た瞬間に何か「ただ者ではない」といったオーラを放つ人間…。そんな人間になりたいと思ったら、武器は着ているものしかない。
自己表現できるファッションとは自分がそれを着たとき、最高の笑顔でいられる服。
進め!進め!這い上がれ!我ながら思う。「しぶといな、寛斎ってヤツは」と。
私はそのファッションで、ロンドン、ニューヨークを歩き回った。日本では「あの人、へん」でも、世界の懐は広い。私の姿を見るなり「ウワァー、カッコイイ。ビューティフル!」と賞賛してくれる自由な感性は、海を渡った異国にあった。
私とて傷つかなかったわけではない。けれどこう考えることにした。見る人をギュッとさせたり、ギャーッと驚かせたということは、私の服が多くの人々のこれまでの常識や既成概念に「それでいいのか?」と疑問を投げかけたということだ。