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【山本 寛斎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:KANSAI YAMAMOTO, Inc.

今回は有名な「山本 寛斎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「山本 寛斎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

山本 寛斎とは

山本 寛斎(やまもと かんさい、本名の読み:やまもと のぶよし、1944年2月8日 - 2020年7月21日)は、日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサーである。寛斎スーパースタジオ会長。太田プロダクション所属。通名で、やまもと寛斎と表記することもある。

1971年に、日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催したことでも知られる。このロンドンのショーがデビューとなり、1974年にパリコレクション、1979年にはニューヨークコレクションに参加。フランス・パリ、イタリア・ミラノ、米国・ニューヨーク、スペイン・マドリードなど世界各地の主要都市に「ブティック寛斎」を出店しファッションデザイナーとしての地位を確立した。ほかにタレントや俳優としての活動や、観光立国懇談会(VISIR JAPAN)、2005年「日・EU市民交流年海外事業」など、各種日本政府諮問事業なども務めた。

参考:Wikipedia

山本 寛斎の名言集

私のやっていることは全部、人に楽しんでもらう、喜んでもらう。それが目標です。

子供であろうとご老人であろうと、年齢と関係なく、楽しいことが好きだっていう、それが人間なんでしょう。

私は、自分のやっていることの本質は何と思ってるのかといいますと、前例のないことをやって、人を猛烈に喜ばせる、その笑顔を見るのが私の最大の喜びになる。

「好きなことしかやるな!」と言いたいです。「仕事と思うな!」ということですよ。

今はほとんどの若者が、大声を出すことも全力で走ることも知らずに生きています。社会や学校が「あれするな、これするな」と育てるから。

自分でもよく泣くと思いますねえ。ですから応援団気質というのは、あるかもしれないです。

最後まで諦めずに頑張る人を見ると、私は泣いちゃうんです。不屈の精神で、全身全霊を傾けて何かに挑む姿というのは、世界中が理解する感動じゃないかと思います。

「世のため、人のため」という純な気持ちが先にあって、かつ数字も付いてくる仕事は世の中にたくさんあるはずです。

世界に私と同じくらいのファッションの才能を持つデザイナーは何人もいるとして、自分でお金を集めてきてショウをやって、国の流れを変えちゃうイベントプロデューサーはいないんじゃないでしょうか。だから、これは貴重な活動だと思って、命ある限り続けるつもりです。

これまでいろんな国でSUPER SHOWを実現してきましたけれども、選ぶ基準は「よく知らない国」「これから仲良くなるべき国」です。

夜は9時に寝て、朝は5時に起きて、できるだけ深い呼吸をしながら公園を散歩して、脳に酸素を送り込んで、自分で朝食を作って食べるんです。これは今も続けています。この生活をしているとね、前の晩に辛い状況で気分が落ち込んでいても、前向きに考えられるようになるんです。

(インド人は)数学の0を発見した民族ですから、相当しぶとい。そんな人たちと渡り合うには、とにかく本音で、分かりやすく、ストレートに思いをぶつける。これが一番強いですよね。

日本人は「水に流す」とか「竹を割ったような性格」という諦めの美学がありますが、インドの人たちにしたらそんなの駄目オトコの考え方です。彼らは「水になんか流してどうすんだ。もっとしつこく粘れ!」っていう教育をされているんです。それが正しいオトコの生き方なんです。

私は社員にも「結論から先に言って」と言っています。前置きが長いと、余計な時間がかかるんです。

服とは、我ここにありという主張。

私は初期の頃は、街で着られる着られないとか、売れる売れないとか、まったく考えないで服を作っていました。

私は同じ生きていくならば、人を大いに愛して、興奮しまくって、何か新しいものを作り狂って、そんな生き方がいいんじゃないかと思っています。

人生1回。無理して嫌なことなんてやる必要はない。

やっぱりね、小さな世界でまとまっちゃダメなんですよ。

「我ここにあり」極論すればそれしかないと思う。まねをすると、即座にバッサリと切られてしまうから、世界の場では創造性を重視する傾向が強い。

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