幸福なんてそんな大層なもんじゃない。道の果てにせんぜんと輝いているもんじゃない。そこらへんに転がっているありふれたものだ。ありふれているからこそ、それは存在を主張しない。駆け抜ける者の目には映らない。
誰もがいつもそんなにうまくいってるわけじゃない。立ち止まったり戸惑ったりしているのは、あなただけじゃない。だから大丈夫。それほど心配しなくたっていい。
絶え間ないインプットが情熱になる。
効果がなければ撤退すればいい。まずは思いつく限りやってみるのだ。
功を奏する確率?効率?そんなのは知ったことじゃない。ひたすらやる。当たる時は当たる。ただそれだけだ。
気分が落ち込むのはまあしょうがない。問題はその先だ。そこでただ腐っていても何も生まれない。言い訳したり誰かのせいにしたりするのもいいが、怒りと混乱がひと通り収まったら、具体的な対処に動き出さなければ。
どんな場所、業界で働くにしても、その世界で認められお客さんに満足してもらえるクオリティというのはあって、それを高めていかないと生き残ってはいけない。これはどこにいっても普遍のルールだ。
そのステージに向けてどれだけ真摯に向き合い全精力を傾けたか。できることをすべてやり尽したと、心の底から言えるかどうか、案外そんなことが最重要だったりするのだ。
自分たちがワクワクしながらつくったものでなければ、どうして観てもらうひとを楽しませることができようか。
「華」は努力では身につかない。
人は他者なしでは生きられない。人との関係を構築することで、初めて人生は意味を成す。
学ぶ手段は本もいいが、他者からも大いに吸収すべし。人はそれぞれに特性を持っているから、年齢だったり、先輩後輩の間柄だったりということは関係なく、誰からだって学べる。
なにかを必死に真似ていれば、その過程で自分の個性というのはきっとにじみ出てくるものだから。
うまくいっている他者を嫉妬や悪口の対象にしていても意味はない。嫉妬するほど成功しているものを見つけたら、ぜひここから学びたい、そこにはなにかすごい秘訣が隠されているはずだからと考えるべきだ。
夢へ向かう道のりをどれだけ楽しもうとするか。それが勝負である。だから途中で「本当に夢を叶える才能が自分にあるのか」なんて考える必要はどこにもない。
思うに物事は、目標に達すること自体が楽しいんじゃない。目標に向けてなにかをやっているときがいちばん楽しいのだ。
僕はいつだってなにかに「なる」ことを目的とはしていない。ただひたすらそれを「やる」ことが重要だと思っている。
時代の流れには敏感であるべきだし、これをうまく活用することは物事を成功させるひとつの大きな秘訣である。
何かを為す時には必ず条件があり、その条件下で結果を出すしかない。その条件の最たるものが時間である。
結局のところ、時間内にできたアウトプットがそのまま実力のすべてだと思う。