(74歳時のインタビュー)素人とプロの狭間にいるかもしれない
(33歳の時に出演した『動乱』という作品で高倉健さんと共演した際)高倉さんの受けの芝居、それを受け止めて、私がまた喋って、そういうキャッチボールをやっていて震えるような感動があった
(1973年、母の反対を押し切っての結婚について)名前が変わらないとダメなんだということを強く思ってたので、名前が変わるってことは人間に戻るっていうことなのかもしれない。そんな気がして、それで強行
(20代の頃に急に声が出なくなったことについて)過労とストレス、ストレスの方が大きかったかもしれないですけど、ホント辛くて、毎日泣いているような、そういう生活でしたね。強い自殺願望とかじゃないんですけど、そういうことを思ったこともあって…
(10代の頃の日記)私は生きている限り、演技している。生のままの自分などというものは、とうの昔にどこかに葬られてしまったのだ
色々な役をやってその中で学べるというのが、一番私の仕事のいいところ
(自分自身でメイクを行ってきたが、メイクを人にやってもらうことにしたことについて)自分でやってると、やっぱり吉永でしかないようなメイクアップの仕方をしてる。全く自分ではつけるはずがないような口紅の色をつけていただいて、やっぱりそういう事って必要
演じる人を好きになれないと演じられない
自分には子どもがいないので、映画が子供のようなもの
(出演作を選ぶ時の決め手は何?)その役を好きになれるかどうか
(仕事への意欲が落ちないのかなぜ?)楽しいからです。映画が好きだからというのが一番の理由
(待ち時間に椅子に座らないことについて)立ってる方がリズムが取れるっていうか、座るとなんか、そこで(気持ちが)切れちゃう
自分に正直に生きたい
私はプロじゃないから
色んな事に感動することとか新しいものに出会った時に、あっというような喜びを持つこととか、そういうことに関しては素人でありたいと思うんですけど、仕事の現場ではプロフェッショナルになりたい
私は自分のお芝居や役柄をガチっと固めて演じるのでなく、1シーンずつやりながら、わかってくるところがある
私はその人のルーツというか、その人がどこで生まれて、どうやって育ったのかっていうのを知らないと、なんか自分の栄養にならない
健康ですよね。今も撮影が始まってから終わるまでは絶対に休まない。病気はしないぞと。それが今はかなっているからやれている。
日本全体を見ても、最近はこれまで考えられなかったような犯罪が起きています。そんな時代だからこそ、もっと心を重ね合わせることの大事さを知ってほしいと思った。皆がパソコンばかりに向かって、機械だけにしか会話をしなくなっていくのは怖いことだと思います。
習うことが好きなんですよ、私。教えてもらって、何かが出来るようになると、それで自分が少し成長できるかなと思って。