引用元:石原プロダクションTwitter
今回は有名な「石原 裕次郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「石原 裕次郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
石原 裕次郎とは
石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)出生地 日本 兵庫県神戸市須磨区 生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(52歳没)
石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。ヨットマンとしても活動していた。
昭和を代表する俳優・タレント
大学在学中から俳優を目指し、東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格。しかし1956年に、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の時に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、同映画作品の端役で映画デビューした。
大学を中退して日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では主演。相手役は人気女優の北原三枝(後の裕次郎夫人)。当初はポスター序列2番目、3番目のダブル主演、トリプル主演扱いだったが、「勝利者」以降はほぼ不動のトップ主演者となる。その後は俳優・歌手として活躍し、主演映画が連続ヒットし、瞬く間に日活の看板スター、そして映画界を代表するスターの一人となった。映画時代のキャッチコピーは「タフガイ」だった。出演映画作品の数は多く、たとえばデビュー後3年だけでもおよそ30作品にも及んだ
参考:Wikipedia
石原 裕次郎の名言集
今日が雨でも明日が晴れさえすれば、すぐ乾く人生も同じである
逢えるじゃないか、またあした
親父は殴るだけじゃないんだ。水を張ったバケツを両手に持って、庭に立たされるんだから。真冬ーそれも、夜だぜ。雪がチラチラ降ってさ。身体は寒くて震えるわ、足は感覚が無くなるわ…。でも親父は僕が立っている間、晩飯を食べないで、じっと待っているんだよ。何時間でも。それでお仕置きが解除になったところで晩飯になるんだけど ~中略~ 親父は、僕と一緒に冷たくなったご飯を食べるんだ。(親父、偉いな)とこのとき思った。怖い親父だけど、こういう親父の姿を見て、親しみというか、(近づけたな)ってね。そんなことを感じたものだ
俳優、男子一生の仕事あらず
人生というのは振り返ってみて何もないずんべらぼうより、起伏が激しいほうが楽しいと思う
実は数年前に心臓を切る大手術をしてね。お医者さんには止められてるんだけど、ちょっと1本だけ吸っちゃおうかな
お前さんのこと
弟みたいに好きだった…。
ビールは酒ではない、水である
確かに、6・3・3制の義務教育という制度は、占領統治下ではそれなりに意味があったと思う。だけど、この制度は受験戦争を生み、教師をマシン化させるという弊害を引き起こした。いまの日本の現状を考えれば、やはり6・6制という昔の制度に戻すのがいいと思う。そうすれば受験制度もなくなり、教師も血が通った教育ができるだろう。戦後かなりの時間がたって、義務教育というものをありがたがる時代は去ったのではないか。少なくとも僕はそう思っているんだ
人の悪口は絶対口にするな。
人にしてあげたことは、すぐ忘れろ。
人にしてもらったことは、絶対忘れるな。
あんたと俺の間には、目に見えない海があるんだ。
どうにもならない海が…。
僕らがちっちゃい時は、家族4人で風呂に入っていた。
「お母さんもおいで」なんて、親父が呼んでさ。
お袋が途中から入ってくるんだ。
だから、いま当時を振り返ると、すごく微笑ましくてね。
「よかったな」というイメージしか残っていないんだ。
学校VS学校、これが、僕らが高校生のころのケンカだった。~中略~ 学校対学校だから級友の誰もが愛校精神に富んでいた。何より友情を重んじた。先生も、崇めた。そういう意味で、学校VS学校のケンカというと大げさに聞こえるかもしれないけど、少なくとも僕たちの精神は非常に健康的だったということは言えると思う
あんたと俺の間には
目に見えない海があるんだ。
どうにもならない海が…。
美しき者に微笑を
淋しき者に優しさを
逞しき者に更に力を
全ての友に思い出を
愛する者に永遠を
心の夢醒める事無く
人が何と言おうが、自分じゃ不良とは思っていなかったね。
友達が何人か集まってワーワーやるのが楽しい訳で、自分じゃ、健康的で、模範的な学生だと思っていた。
もし、「石原裕次郎」が芸名であったら、たぶん腹は立たなかったろうと思う。本名だから、呼び捨てにされると頭にくる。僕を呼び捨てにできるのは、そのころすでに親父はなくなっていたから、この世の中で、おふくろと兄貴の二人しかいないわけだ。たとえ時の総理でも、俺を呼び捨てにしたら許さない...当時の僕は、それぐらいの気構えがあった
俺はもう
美しい唇から出る言葉も、
真珠のような涙も信じないようにしてきた。
人間は自分がどうなるかって事さえ、その時になってみるまでわからんもんです。
兄貴は、僕の尊敬する人物の一人だ。
小さい時から、そうだった。
遊びのことでも、スポーツのことでも、試験勉強のやり方でも、兄貴の言う通りやれば、まず間違いないと思っていた。
こうなると、もう一種の信仰だね。
だから、あいつの言うことはよく訊いた。
いまでもそうだ。