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【渡部 陽一 】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:twitter

今回は有名な「渡部 陽一」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「渡部 陽一」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

渡部 陽一とは

渡部 陽一(わたなべ よういち )出身地 日本・静岡県富士市 生年月日 1972年9月1日
日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。初代・富士市観光親善大使。
所属事務所はBe.Brave Group。

静岡県立富士高等学校を経て、「バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入った。大学の一般教養課程の生物学の授業でアフリカの狩猟民族に興味を持ち、全く現地の知識もないまま旅行者としてピグミー族に会いに行くため、アフリカのコンゴ民主共和国に行った。しかし当時はルワンダ紛争のまっただ中だったため、ルワンダの少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで助かった。帰国後周囲の人間に、その被害と少年兵がいる現実を説明したが、理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し、「戦場カメラマン」となることを決意した。

参考:Wikipedia

渡部 陽一の名言集

戦場カメラマンに大切なのは
「生きて戻ること」

戦場カメラマンにも“ウォー・フォトグラファー・シンドローム(戦場カメラマン症候群)”という言葉あり、現場に入れば出会うカメラマンのメンツはほぼ同じだった

泣いている子どもたちの声が一人だけでも世界の方々に届けることが出来た時、どの国であっても国際情勢と繋がることができると感じているので、カメラマンとして丁寧に世界の声を記録に残していきたい

どの戦場でも共通していたことは「戦争の犠牲者はいつも子どもたち」

(写真を取るときに注目を引くためにいうセリフ)I am ブルース・リー

(いいともの楽屋にいたオリエンタルラジオに対して)この時間帯にはこちらの空間ではどのようなお話をされているのですか

(映画のイベントに出席し、囲み取材を受けて)撮られるという気持ちが分かりました。まさに諸刃の剣

ジャーナリストは無事に生きて帰る事が前提

安全優先で働いてます。家族第一、仕事第二

素直に言葉で伝わらないのであれば、好きな写真を使って伝えることはできないか、カメラを手にして現場に赴き、自ら見たものを撮影して写真を持ち帰る、一枚の写真の力で状況を伝えることができるのではと考えました。そして写真の力にすべてをかけてみようと心を決めました

日本からかけ離れたアフリカの森の中で理不尽な行いが繰り返されている。恐怖と怒りに震えながら、この状況を伝えることができないか、その方法を模索することとなりました

トラックの積荷の塩魚は奪われ、自分の荷物・カメラ機材も略奪されました。ただ運が良かったのは、こちらから現金を差し出したことで、殺されずにすんだことでした

アルバイトで貯めたお金を持ってアフリカのザイール(現在のコンゴ民主共和国)のジャングルへ飛び込んでいきました。当時は外国を旅することも手探りの状態であり、 ましてジャングルで生きのびるための技術はありません

自分自身でピグミー族に会って話をしてみよう、この目で彼らの存在を確かめてみたい、早速気の赴くままにアフリカへ向かう準備を始めました

(好きなことば)塩をなめ、もやしを食らう

ボディガードはその地域最強の奴を大金で雇う

護衛がいても危ない所には近づかない

戦場が流動的なところには行かない

最前線に行く時は世界最強の軍隊の自走砲部隊と行動する

ボクは…、喋るのが…とてもゆっくりなので、質問のメールは、ツイッターと同じ…140文字以内でお寄せ下さい

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