人が死ぬ原因になるものと人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にあって、幸福と不幸、憎しみと愛情とかってさ、同じものじゃないですか。
何かを深読みして理由づけして、あれこれいじくりまわし解説するのは私の悪い癖だと思う。
戦争に負けて、今までの日本人の考え方はダメでしたとなった。そこから国を挙げて、先進国にならなきゃいけないという強迫観念に取り憑かれている
僕の発した言葉に反応して田中のことをお客が笑ったとする。すると僕が言った以上に、お客がその言葉で笑ったということが田中に返ってくるんです。つまり僕があいつを攻撃しているのではなく、お客が田中を笑うことで攻撃するように仕向けているわけです
我々の信じる正義とはあるいは悪とはハッキリとコレと指摘出来るものだろうか。決してそうではない
漫才のネタはつきることがない。あとからあとから事件は起こり続ける。そんな途切れなく起こり続ける悲劇を喜劇につくりかえることが、我々の運命だと思ってる
未来は、いつも面白い!!
創造性というのは夢なのか、幻なのか
僕は面白い時代に生まれたと思いますよ。面白がっちゃいけないけれど、混沌としているじゃないですか、すべてが。一歩間違えば破滅だけど、逆に何かのちょっとしたきっかけでいい方向に行く可能性もある。そうすれば、まったく新しい価値観を持った理想的な社会になるかもしれない。現代って、そんなどっちに転ぶかまったくわからない状況にあると思うんです。
戦争の中で何時まで我々は笑い続ける事が出来るだろうか。
ヒーロー像を複雑化したのは、自分の弱さに対する言い訳だったのかもしれない。
もし今、日本人が言葉に対する信頼、自分の気持ちを言葉にして伝えることに絶望しているとすれば、思い上がりだと知りつつも、それは俺のせいだと思っちゃうんです。
物事は一方から見るのではなく、相対的に見ることが大事だと
人々が戦争を行う時、人はそのイメージの中で完全な悪と、完全な善を創りあげているのではないか。
又吉に「おまえわかってんな。自分の本の話をするときは俺の本のことまず言えよ」って言うのは、半ば本気もあるけど、あれを「後輩に向かって圧力をかけた!」って言われちゃうと……。まあ、その通りなんですけどってなるけど、そこを笑ってよっていうところはあるよね……笑えないのかな?
オレはこれがダメってのがほとんどない。あんまりそう見えないかもしれないけど。相手の設定でダメになるようじゃ嫌だなと思うタイプ。作家が書いたコントかつまらないと思っても、これをどうにかして変えずに面白くするほうにプライドが働くんだよね。
僕はまだ「これまでの漫才をもう少し洗練させる」といった程度のものしかつくれていないんですが、本当は誰もやったことがないものを生み出したい。
自分の嫌いな短所を許すことが、自分を好きになることだ。
オレは、仕事をするときにまず自分が楽しみたいって気持ちがあるかもしれない。最終的にはお笑いは、誰かを笑わせるっていうより、自分が笑えるかどうかしか基準がないわけ。
自分はあんまり面白くないけど、これは女子高生にはウケるじゃないかって作ったネタは、やっぱり失敗することも多い。なにより自分が楽しくできないのはマイナスですよね。