芸能人・タレント

【大橋 巨泉 】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:文春写真館

今回は有名な「大橋 巨泉」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「大橋 巨泉」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

大橋 巨泉とは

名前 大橋 克巳(おおはし かつみ) 別名義 池間 仙也 出生地 日本・東京府東京市本所区両国
生年月日 1934年3月22日 没年月日 2016年7月12日
日本のテレビタレント、放送作家、元参議院議員

「憧れのアメリカ」へ行くには英語の習得が必要と考え、当時朝鮮戦争の特需もあり、家業のカメラ商売に役立つと親を説得しアテネ・フランセ英語科で英語を学ぶ。日本大学第一中学校・高等学校を卒業し、ジャーナリストになってアメリカへ行こうと早稲田大学第一政治経済学部新聞学科(後に廃科)へ進学するも中退。
11960年代から1980年代にかけ、『11PM』や、TBS『クイズダービー』、毎日放送・TBS『世界まるごとHOWマッチ』などの司会で名を馳せる。
最初の妻であるマーサ三宅と結婚後、中野区野方へ住まいを移し、実家の大橋商店に勤務するも「自分にはサラリーマン生活は無理」とすぐに辞める。ジャズ喫茶に出入りするうち、ジャズ評論家・放送作家からテレビ司会者に進出、弁舌家のタレントとして人気を得る。この方面では、同じく放送作家出身の前田武彦と人気を二分し、この2人で日本テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』の司会を務めた。
実業家・芸能プロモーターとして(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、実業家に転身後
政界進出と多方面で活躍する。

参考:Wikipedia

大橋 巨泉の名言集

それは違う、おかしい、というマトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる。

人間の欲は無限であるから、あれもこれもと思うのはわかる。
でも結果はアブハチ取らずになるのが関の山だ。
そんな時、こう考えることにしている。
「今回の人生ではやめておこう。」

僕の作った言葉なんですけど、『がんは闘うか死ぬか』です。その中間はないんです。

戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ。

勝ち組、金持ち、インテリはテレビを見ない。負け組、貧乏人、程度の低い人がテレビを見ており、芸能界の裏話を共有した気になって満足しているんです。

人に助言を与えることにも用心深くしよう。賢い人はそれを必要としないし、愚かな人は心に留めないだろうから。

どんなに才能があっても、毎日出ていて、同じようなことをやっていれば飽きられるのは当然だ。

日本人ほど「ありがとう」という言葉を口にしない民族はそうそういませんね。

人間の欲は無限であるから、あれもこれもと思うのはわかる。でも結果はアブハチ取らずになるのが関の山だ。

集団の真ん中にいたら、絶対にダメだ。どうせなら、ビリを走れ。時代の風が逆から吹いたら、自分がトップに立てる。

外国人参政権が脅威なら日本は滅んでいい。

(「クイズダービー」について)僕は何でも自然体でやる方でしたし、役者さんではないので台本を覚えなくてもいい。すべてアドリブでやっていたので苦労したことはないですね。

『人間至る処青山あり』が僕の座右の銘。

夢を実現できる方法を探ってそれに邁進するしかない。

おれは終活なんて好きじゃない。がんと闘い切れば甘んじて死ぬ。

府中の千八展開いらず。

星で食うならバカでも食える。

仕事がうまくいかなくなると充電と称してアメリカへ行ったりするタレントがいるだろ?
馬鹿なんだよね。
だってよく考えてごらん。
電気カミソリの電気がきれてから充電しても間に合わないんだよね。

ボクの場合は、いつも1個か2個、しかも手術可能なところに転移してきた。
こういう人はタマにいて、結構生きるんだそうだ。
だからこの状況が続くかぎり、出てくる癌を『モグラ叩き』のようにやっつける事にしている。

35回にわたる放射線治療は副作用が本当につらく大変で、80年間の人生で初めて“死んだ方が楽かもしれない”と思った。

次のページへ >

スポンサーリンク

-芸能人・タレント

© 2024 名言まとめドットコム