犯罪ってのはさ、僕なんかも思うけれど、絶対許すことはできないだろうけど、その犯人を生んだ社会ってのにも問題があるでしょ
オレの人生は壮大な無駄使いでした
細かく注文されたら細かく芝居をしてます、ということでなくて、自然体の中でそういう風にできれば最高だと思う
何かいいとこ見せようなんていうさ、安っぽい気持ちがなくなっただけいいね
僕のファンの方っていうのは若い方でもね、お行儀がいいよ
僕ら、ロックという嫌われてる音楽やってるのかもしれないけれど、それによって税金を払っていたりしてるんだから、一概にうるさいとかね、できないんじゃないの
人気というのは、アテにしちゃいけないということだな。人間は努力したことしか戻ってこない
黒澤明、深作欣二、神代辰巳、テンプターズの田中俊夫と大口広司、柳ジョージ、『傷だらけの天使』のスクリプトを書いた市川森一……オレの周りの連中はみんな逝ってしまいました。でも死なんて、メイビー、無になることでしょ。死の世界はホワイト。真っ暗じゃなくて真っ白って感じ。何も残らない。オレにはそれで充分ですよ
もう自分をだませない。カッコつけて生きたくなんかないんですよ
あった瞬間から過去のことは忘れた。(僕は)悪いイメージが多いけど、家内に出会えたのは、いいこともしてたご褒美かな。
金剛峯寺というか、真言宗側は僕に対してとってもジェントリーですよ。とってもソフトでね。一歩、譲ってくれてます
おれが天才? それはない! 100%ないよ。天才じゃないから努力しなきゃならないんだよ。それはもう日常的に、意地を張らずにやってるよ。役者であり、シンガーであり、萩原健一である努力を続けているから、にじみ出るものがあるんだ。芸術家が芸術を意識したら終わりだろ。それと同じように、もしおれが天才だとしても、それを意識した瞬間、何かが破壊されるんだよ
演技でもライブでもそうだけど、まるっきりアドリブではないんですよ。仕込みはする。でも現場に立ったとき、自分がどうすればいいかは、ふっと湧いてくる。50年もやってるとね、そういう引き出しが増えていくんですよ。50年って、長いですよ。いろいろやってきましたからね
ザ・ビートルズはすばらしいアーティストだと思う。 でもおれは違う。 教科書に載るような存在ではないと思うよ
ウッドストックには、赤坂にあった『花馬車』ってナイトクラブのオーナーに連れて行ってもらったんです。音楽的なことは……正直言って、あんまり憶えてない。でもとにかくみんなヌードだったね! おっぱい丸出し(笑)。それがいちばん刺激的だった
『太陽にほえろ!』に出演するときは、音楽もやらせてほしいと条件をつけたんです。(主演だった)石原裕次郎さんは、スタンダードジャズみたいな音楽を考えていたみたいだけど、それじゃあちょっと違うなと。それで大野克夫や井上堯之を呼んで、ロックなテイストにしたんですよ。それであの有名なテーマ曲が生まれた。
ジュリーは歌に命をかけて、一生懸命に歌ってた。だから歌で飯を食える。それはすごいことだと思う。おれは途中から映像のほうに行っちゃったからね。ボイストレーニングをやったり、ギターを弾いたりっていうのはずっとやってきたよ。でも演技をやったり、脚本を書いたり、音楽以外のこともやってた。そこがジュリーとの違い。おれはジュリーにもビートルズにもなれなかったんだよ
どうしようもねえな、おれは
この隙間、まさに紙一重。そのスレスレの境地をつくっていかなきゃならない。演技に見えてもダメだし、素を撮ったドキュメンタリーでもダメ。少しずつ素をこぼしながらもカメラがどこにあって、観客が、テレビの前の人が何を見たいのかを意識している。そのギリギリの紙一重の状態がいちばんスリリングなんですよ
いまは、ジャーナリズムがやりすぎだと思うよ。魚の鱗だけを見て、魚そのものは見えていない。それが本当のジャーナリズムなのかって言いたいよ。おれだって何度もひどい目にあって、誤解を受けたこともあった。ただそうやって悪戦苦闘してきたことも勉強になった。それが役立ったところもあるよ