引用元:横山 由依オフィシャルサイト
今回は有名な「横山 由依」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「横山 由依」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
横山 由依とは
横山 由依(よこやま ゆい )京都府木津川市出身 生年月日 1992年12月8日
日本のアイドル、YouTuberであり、女性アイドルグループ・AKB48チームAのメンバーである。2015年12月8日から2019年3月31日まで2代目AKB48グループ総監督を務めた。2012年11月から2013年4月にかけて、AKB48とNMB48を兼任していた。太田プロダクション所属。
小学校の頃は学業成績は良く、体育と音楽が得意だった。小学校4年生まで自分のことを「ゆいちゃん」と呼んでいた。小学校4年生の時に大阪城ホールにおいてCHEMISTRYのコンサートを観賞してから芸能界に興味を持つ。
体育では走るのが好きで、陸上大会のリレーに出場し、町内駅伝大会では常に優勝か2位だった。
中学校では3年間バスケットボールに熱中し、3年生の時に体育大会で優勝。この間に体力と精神力を養え、自分には団体競技が向いていると感じた。また、2年生からボイストレーニングにも励み[、大阪のハートボイススタジオミュージックスクールに通っていた。
将来は素敵な歌手になり、夢を与えられるような魅力ある人になりたいと思っている。
「夢を叶えるための一つの通過点」というAKB48のコンセプトを気に入ったことが、AKB48の研究生(9期)オーディションに応募したきっかけとなっている。
高橋みなみ曰く「超努力家」。篠田麻里子からも「本当に努力家」と評されている。総監督の説教部屋において、高橋みなみと大島優子から自分達先輩の背中を見て勝手に育ってくれるレアケースと言われていた。
候補生時代は地元の高校に通いながら、放課後はファーストフード店やファミリーレストラン、食品工場などでアルバイト、帰宅後に自主練習をしていた。金曜日の夜行バスで東京に向かい、土日はレッスンに参加し、再び夜行バスで京都に帰宅する日々を送っていた。夜行バスの交通費と宿泊ホテルの利用料は、自身のアルバイト代で賄っていた。
参考:Wikipedia
横山 由依の名言集
日頃、メンバーから刺激を受けることも多くて、AKB48に入って出会えた人々は、本当にかけがえのない宝物です。
AKB48のライバルはAKB48
意識して支え合っているわけではないと思うのですが、自然とできているのは(グループとしての)強みです。メンバーを見ていれば、「今、あの子はつらいんだなあ」ということが分かるし、そう思ったらフォローしてあげるメンバーがいます。AKB48のみんなって、根が優しいんですよ。
優子さんを見て、キレイなヤンキーもいるんやなぁと。私も、ちょっとだけヤンキーに興味はあったので、特効服は着てみたいと思ってました
AKB48のメンバーは基本的に、プライベートでもメンバーを誘うんですよ。メンバー同士の仲がいいから、これだけ長く(グループが)続いているのかなって思います。
好きな男性のタイプは、スポーツできる人。夢を持っている人。いい声の人。ゲームができる人(クレーンゲームとかでも可)。「夢があって人生を楽しんでる人」私より頭が良い人
AKB48では、歌や舞台、テレビドラマ、コントなど、本当にいろんなことを経験させてもらっています。これからも、できることは制限なくやらせてもらいたいですね。その環境が未来のAKB48でも続くように、今、頑張らなければいけません。
選挙がもしあるなら、やっぱり順位があるものなので、上がれたら良いなと思いますけど、順位に見合うような自分になっていたいですね。まずは…痩せたいです
将来は「歌える人」になりたいんですけど、もともと表現することが好きなので、その延長でお芝居にも興味があります。
いるだけで気を引き締めてくれた優子さんがいなくなって、メンバーの卒業もすごく増えてきているので、後輩も含めて自分たちももっと意識を高めていかないとなと今は思ってます
私たちがAKB48を新しい色に塗り替えれば、塗り替えたものが当たり前になっていくじゃないですか。今のメンバーは、そういう気持ちで「新しいAKB48」を一緒に目指すことができる人たちです。
優子さんって言葉で語るタイプじゃないんですけど、ステージに立っているときは背中からもパワーが出ていたりとか、近くにいるだけですごくキラキラしたものを見せてもらったりして、優子さんに私はすごく育ててもらったと思いますね
一人ひとりの知名度が上がれば、グループに貢献できるはずです。最近は若いメンバーが舞台に出るなど、個人の活動が増えてきています。そういう面で(知名度が)少しずつ広がっていくといいなと思います。
これからAKB48にとってもいろんなことがあると思うんですけど、みんなで戦っていけたらいいなと
「月と水鏡」の歌詞は昨年12月8日に秋元先生から届いたんですよ。その日は私とAKB48の誕生日。何だか運命を感じて、鳥肌が立ちました。
去年の選挙が終わってから、チームAのキャプテン、そしてチームKのキャプテンをやらせていただいているので、今年こそは震えないぞと思っていたのですが、本当に全然寒くないのに、なんか自分でも笑っちゃうぐらい震えが止まらないです。でも今年は涙は止まりました!
秋元先生が、(AKB48にとって)5年半ぶりとなる新しい劇場公演を書いてくださったんです。AKB48グループでは「劇場公演」と「握手会」が大事だと、メンバーのみんなが分かっているので、新しい劇場公演も大切にしていきたいと思っています。
自分の中の基準では、誰よりも楽しい人生をおくっている実感があるので、嫌な思いをしたり失敗しても一晩寝ると忘れてしまいますし…そういった辛いことさえもいい思い出に変わっていくということに最近、気がついたんです
メンバーとは、みんなでご飯を食べに行った時とかに「何をやったら面白いんだろう?」と話しています。今やってみたいことは、「原点回帰」の意味も込めて、全国のCDショップとかを巡ることかな。私たちはグループ名が知られるようになった後で入ってきたから、そういう経験がありません。
私は、歌要員として、どの曲にもソロパートがある人になることが目標です。CDでも存在感が出せるようになりたい