引用元:ライツ・ネットワーク
今回は有名な「有森 裕子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「有森 裕子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
有森 裕子とは
有森 裕子(ありもり ゆうこ、1966年12月17日 - )は、元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。日本体育大学体育学部体育学科卒業。株式会社アニモ所属日体大客員教授、日本陸上競技連盟の理事、日本プロサッカーリーグの理事、スペシャルオリンピックス日本の理事長、IOCのSport and Active Society Commissionメンバー、国際陸上競技連盟女性委員会委員、国連人口基金親善大使。
1990年の大阪国際女子マラソンがマラソン初レースだった。中間点を過ぎて先頭集団から脱落するが、その後も粘り続けて2時間32分51秒の記録で6位に入賞する。この記録は当時の初マラソン日本女子最高記録であった。1991年にも大阪国際女子マラソンへ2年連続で出場。優勝はならなかったものの日本人ではトップでゴール、2時間28分1秒の2位と健闘し、当時の日本最高記録を樹立。同年開催の世界陸上東京大会女子マラソン代表にも選出され、一躍日本女子のトップランナーへ世間の注目を集め始めた。
参考:Wikipedia
有森 裕子の名言集
出来るときに、出来ることを、出来る範囲で、出来るだけやる。
私のマラソンは、私の人生そのものを表しているんです。
苦しくなったら、苦しみを味わえるだけ生きているんだと感謝した。うれしいときはまた喜べるんだと、また感謝した。
何もしなければ、なんとかなるなんてことはないし、奇跡も起きるはずがない。
努力は絶対に裏切りませんから。
自分の目標が明確になっているなら、あとはやるかやらないか。結果を出せるかどうかはその差でしかない。
心の中では、自分は才能がない、だからこそ人一倍やらないとだめなんだ。
という鞭をずっと打ちつづけていたような気がする。
一生懸命頑張っていると、いろんな人がいろんなチャンスをくれます。
でも、一生懸命頑張らない人には、何もチャンスは来ません。
マラソンはやればやっただけのものが出せる。その道に至るドラマや自分という人間を表現できる。
メダルの色は一つ落ちましたけど、自分が輝いたのでうれしいです。
メダルを獲って自信を取り戻すため、やれることは全てやりましたね。
スタートの時点で、本当は、結果がほとんどわかるんです。
何かできるようになりたい。何のとりえもない私は、人一倍努力しないと人並みにはなれない。それだけを考えて生きてきた。
プレッシャーは、自分自身がかけるもの。日々を自分にごまかしなく、精一杯生きれば関係ありません。
初めて自分で自分をほめたいと思います。
人生には必死にならないとできないことがあり、とことん頑張り、辛苦を含めた経験で乗り越えた時、素晴らしい世界が広がっている。
走る素質はないと思います。でも、人が苦しくてダメだという時でも、私はやめない性格なんです。
何が起きても『せっかく』と考えよう。足をケガしても『せっかく』の故障だから、神様が与えてくれた休養と考えよう。
金メダルを取れるほどの苦しみを味わっていなかった。
本番は何もかもが練習と違うんです。天候、コースのコンディション、相手の動き、自分の体調など、マラソンはすべてが不確定要素だらけの競技です。だからこそ、どんな環境でも最高の状態を出せるように、最悪の状態を想定した練習もしました。