(「ヘロドトス宛の手紙」より)おのおのの形状ごとに、類似の原子の数は無条件に限りなくあるが、形状の相違の仕方の点では、無条件に限りなくあるというのではなく、ただ、われわれの理解を絶するほどたくさんあるというだけのことである。
賢者はうまい食べ物を選ぶように、最も快い時間を味わい楽しむ。
快楽を生み出すものは、終わりなき饗宴でもなければ、少年や女性との戯れでもな く、すべての選択と拒否の原因を探求する冷静な思考である
欲望のうち、あるものは不要だが、あるものは必要だ。
正義の最大の果実は、心境の平成である
身体の健康と精神の平静さが至福な生の目的である。
思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることもできず、
快く生きることなしには思慮深く美しく正しく生きるということもできない
快 (ヘードネー ἡδονή) が第一の善 (アガトン Ἀγάθων) であり、われわれは快を出発点として、すべての選択をおこなう。
多くの人間にとって、休息は気抜けにより、活動は気違いによる
多くのものを所有していない場合、自己充足は大きな善である。
われわれを助けてくれるものは、友人の援助そのものというよりは、友人の援助があるという確信である
快とは、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことである。
人は恐怖のために、あるいは際限のない欲望のために不幸になる
だが、もしこれらに手綱をつけるならば、祝福された思考を自分自身に勝ち取ることができる
快の出発点であり、かつ最大の善は、思慮である。
我々は、幸福をもたらすものどもに思いを致さなければならない。幸福が得られていれば、我々は全てを所有しているのだし、幸福が欠けているなら、それを所有するために、我々は全力を尽くすのだから。
神々に関して敬虔で、死を恐れず、自然の定めた目的を考えている人はすぐれている。
至福な「自然」に感謝しよう、彼女は、必要なものを容易に獲得しうるものとし、獲得しにくいものを不必要なものとしたがゆえに。
思慮ある人は偶然を神と見なしたり、偶然が世の中の事象の原因とは考えない。
過ぎた日の善い物事を忘れ去れば、その人は、まさにその日に、老いぼれる。
以上のことに思いをいたせば、魂を乱されず、神のように生きるであろう。