西暦1800年代の偉人

【土方 歳三】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:WARAKUWEB

今回は有名な「土方 歳三」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「土方 歳三」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

土方 歳三とは

土方 歳三(ひじかた としぞう、天保6年5月5日〈1835年5月31日〉- 明治2年5月11日〈1869年6月20日〉)は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年5月11日(1869年6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。

参考:Wikipedia

土方 歳三の名言集

ふりなからきゆる雪あり上巳こそ
(降ったそばから消える命もある。[桜田門外の変を受けて詠まれた句])

我が兵は限り有るも、官軍は限りなし。一旦の勝ち有りと雖(いえど)も、その終には必ず敗れんこと、鄙夫(ひふ)すらこれを知れり。然るに吾れ任ぜられて、若し敗れるようなことあれば則ち 武夫の恥なり。身を以てこれに殉ずるのみ

男の一生は、美しさをつくるためのものだ。俺はそう信じている一日過ぎると、その一日を忘れるようにしている。過去はもう私にとって何の意味もない喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、すでに我が命ァない、と思うことだ。死んだと思いこむことだ。そうすれば勝つ将来われ武人となりて、名を天下に揚げん

水の北 山の南や 春の月

鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照かと

法 可シバ 命ニ愚痴ヌド 持タズ義 微言ワバ 暴ラ 没義ク
(法が許すのであれば、命令に愚痴はない。しかしすでに大儀がない、暴挙だ、大義のない戦だ)

戎器は砲に非ざれば不可。僕、剣を帯び槍を執り、一も用うるところなし

よいか、人を斬る剣は所詮は度胸である。剣技はつまるところ、面の斬撃と、突き以外にない。習い覚えた区々たる剣技の末梢を忘れることだ

本当に包囲しようとするなら、音を隠し気づかれないようにする

皆、自分の道をゆこう

今は酒を飲み浮かれるときではない

目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである

酔って軍律を乱してもらっては困るので皆一杯だけだ

(近藤勇に向かって)あんたは総師だ。生身の人間だと思っては困る。奢らず、乱れず、天下の武士の鑑であってもらいたい

我この柵にありて、退く者を斬らん

世に生き飽きた者だけ、ついて来い

白牡丹月夜月夜に染めてほし

(甥(佐藤彦五郎の三男・為吉)が庭先で転んで額を切ったときにはすぐさま駆けつけ)男の子の向かい傷だ。めでたいめでたい

昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい

報国の心ころわするゝ婦人哉

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