己に克つの苦功を用ひずして、怒りを遷さず、過を再びせざるは、柔惰振わざるの士にあらずんば、必ず奸を掩ひ非を飾る者なり。
役人はただ下々の人民を悩まして米金を取立る手段ばかりに熱中し居る有様。大阪の奉行並びに諸役人共は万物一体の仁を忘れ、私利私欲の為めに得手勝手の政治を致し、江戸の廻し米を企らみながら、天子御在所の京都へは廻米を致さぬのみでなく五升一斗位の米を大阪に買ひにくる者すらこれを召捕るといふ、ひどい事を致している。
(原告が届けてきた菓子箱をもち出し、列座の同僚を前に)このような菓子を好むために、なんでもない訴訟も容易に解決できない
何れの土地であつても人民は徳川家御支配の者に相違ないのだ、それをこの如く隔りを付けるのは奉行等の不仁である。
心太虚に帰せずんば、必ず動く。
彼等は町人の身でありながら、大名の家へ用人格等に取入れられ、又は自己の田畑等を所有して何不足なく暮し、この節の天災天罰を眼前に餓死の貧人乞食をも敢て救はうともせず、その口には山海の珍味結構なものを食ひ、妾宅等へ入込み、或は揚屋茶屋へ大名の家来を誘引してゆき、高価な酒を湯水を呑むと同様に振舞ひ、この際四民が難渋している時に当つて、絹服をまとひ芝居役者を妓女と共に迎へ平生同様遊楽に耽つているのは何といふ事か。
律厳法具梵王宮 (寺のおきては厳しく、きまりもいろいろあるのだろう)
大阪の金持共は年来諸大名へ金を貸付けてその利子の金銀並に扶持米を莫大に掠取つていて未曾有の有福な暮しを致しおる。
赤子猶懲縲絏中 (かよわい民すら罰せられ、縄かけられるとは)
天下の為と存じ、血族の禍を犯し、此度有志の者と申し合せて、下民を苦しめる諸役人を先づ誅伐し、続いて驕りに耽つている大阪市中の金持共を誅戮に及ぶことにした。
英傑は大事に当たりて、もとより禍福生死を忘る
そして右の者共が穴蔵に貯め置いた金銀銭や諸々の蔵屋敷内に置いてある俸米等は夫々分散配当致したいから、摂河泉播の国々の者で田畑を所有せぬ者、たとひ所持していても父母妻子家内の養ひ方が困難な者へは右金米を取分け遣はすから何時でも大阪市中に騒動が起つたと聞き伝へたならば、里数を厭はず一刻も早く大阪へ向け馳せ参じて来てほしい、これは決して一揆蜂起の企てとは違ふ。
身の死するを恐れず。ただ心の死するを恐るるなり
此度の一挙は、日本では平将門、明智光秀、漢土では劉裕、朱全忠の謀反に類していると申すのも是非のある道理ではあるが、我等一同心中に天下国家をねらひ盗まうとする欲念より起した事ではない、それは詰るところは殷の湯王と周の武王、漢高祖、明太祖が天誅を執行したその誠以外の何者でもないのである。
(隠退直後の文政十三年九月十六日、本家の波右衛門に宛て)先月中に、申し上げていた通り隠居して恙なく過ごしているので安心されたい。これ迄に休暇をとり御弓を拝見に参るべきところ、御奉公中は寸暇なく、行きたいとは常々思っていたが思い通りにならず残念であった。この度隠居し、家事のことは忰へ任せ置き、参上したいと思う。
山中の賊に克つことは易しく心中の賊に克つことは難し
若し疑はしく思ふなら我等の所業の終始を人々は眼を開いて看視せよ。ここに天命を奉じ天誅を致すものである。
(隠退直後の文政十三年九月十六日、本家の波右衛門に宛て)当月下旬の内、廿六、七、八、三日のうち天気を見合せてこちらを出発し、尊家へ行くつもりなのでお許し願いたい。お目にかかってゆっくりとお話を伺い、積年の欝を晴らしたいと楽しみにしている。その上都合により日光へ参拝し、帰途江戸へも廻り、知音を訪ねるつもりである。
(飢饉にあえぐ農民たちに、こう語った)冷害に洪水、天災はどうすることもできない。でも、できることはあるはずです。どんな天変地異も、心まで奪うことはできない。天は唯一、心で変えることができるのです
明朝定捕五更風 (私は明日、夜明けに吹く風を捕まえなければなるまいな)