引用元:関西・大阪21世紀協会
今回は有名な「菅原 道真」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「菅原 道真」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
菅原 道真とは
菅原 道真(すがわら の みちざね、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。
菅原 道真の名言集
(藤原清貫が左遷後の道真から聞いた言葉として)自ら謀ることはなかった。ただ善朝臣(源善)の誘引を免れることができなかった。又仁和寺(宇多上皇)の御事に、数(しばしば)承和の故事(承和の変)を奉じるのだということが有った
流れ行く われはみくづと 成りぬとも 君しがらみと なりてとどめよ
(太宰府に流れる私は水屑となるとしても、どうかしがらみとなってこの流れをせきとめてください)
(越州国の風景について)一国丸ごと買い取ってしまいたい
東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春を忘れそ
(東の風が吹いたならばその香りを思い出してくれ。主がいないからと咲く春を忘れないで。)
(桜花の美しさをたたえ)弥勒菩薩が悟りをひらくという龍華樹も遠く及ばない
海ならずたたえる水の底までも清き心は月ぞ照らさん
さくら花 主を忘れぬものならば 吹き来む風に 言伝(ことづ)てはせよ
(桜の花よ、主人を忘れないでいてくれるなら、配所(左遷先)まで吹いてくる風に言づてをしてくれよ)
未だかつて邪は正に勝たず(邪まなことはどんなことがあっても、結局正義には勝てないのである。)
万事皆夢の如し 時々彼蒼を見る
(紀長谷雄に対し)世間では偉そうにべらべら喋る大学者さまが我が物顔で通るたびに有難がられているが、君が口を閉ざしても君の詩興が衰えることはないから心配するな
悲しみの涙をたたえて、日本国を侵し亡ぼし、大海となして、八十年を経ての後国土を建立してわがすみかとせん。
香は禅心よりして火を用ゐることなし 花は合掌に開けて春に因らず(香りは、わざわざ火を用いて焚くものではなく、清らかな心の中に薫るもの。同じように、花は春が来るからつぼみが開くのではなく、正しい心で合掌するその手の中に花は咲くもの。)
去年の今夜清涼に侍秋思の詩篇独り腸を断恩賜の御衣今ここに在棒持して毎日余香を拝す
君が住む 宿のこずゑの ゆくゆくと 隠るるまでに かへりみしはや
美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある
(忠臣が死去した際)今後再びあのように詩人の実を備えた人物は現れまい
これ以上の紛争は藤原氏の為にならないと
全ては運命の巡りあわせなのだから、不遇を嘆いて隠者のように閉じこもり、春の到来にも気づかぬような生き方はすべきではない。
この地が死時有(しじゅう)の地だ
私は長年にわたり右大臣の職を拝し、幾度も楽しい思いをしてまいりました。しかし、今宵は、なにかにつけて、悲しい思いがいたします。吹く風に、こおろぎの声も寒々しく聞え、雨に打たれて落ちている桐の葉にも寂しい思いがいたします。