引用元:豊田佐吉物語
今回は有名な「豊田 佐吉」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「豊田 佐吉」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
豊田 佐吉とは
豊田 佐吉(とよだ さきち、1867年3月19日(慶応3年2月14日) - 1930年(昭和5年)10月30日)は、日本の発明家、実業家。豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)をはじめとして、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件の発明をした豊田紡織(現 トヨタ紡織)、豊田紡織廠、豊田自動織機製作所(現 豊田自動織機)を創業、トヨタグループの創始者である。
豊田 佐吉の名言集
教育も金もない自分は、発明で社会に役立とう
仕事は人が探してくれるものではなく、自分で身付けるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。いつの時代でも、新しいことは山ほどある
金は借りやすいところから借りてはいかん。慎重な貸手は相手の人格を見て仕事の内容を検討するそんな人は、こちらが悪くなるとさらに金をつぎ込んでくれる。その反対に、安易に金を貸してくれる人は、こっちが一番金が欲しいときに返済を迫ってくる。
障子を開けてみよ、外は広いぞ
これはみな外国品ばかりではないか。こんなことで日本の将来をどうする。今に私は立派な国産品をつくって、きっと外国品を追っ払って見せる。
百忍千鍛事遂全
(百の苦難を耐え忍び、千の訓練で鍛えれば、目標を達成することができる)
発明とは、全くこの世に無き事柄を頭より揉み出すことであり新事実を搾りだすことである
発明発見とか創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で、今まで人間の踏み込んだ地域は九牛の一毛(多くの牛の中の1本の毛)にも達していません。その大きな未開の秘庫は『早く扉を開けてくれ』と、中からいつもわれわれに呼びかけています。しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっています
日本人もまた中国人の心持ちの真相を理解することじゃ、その相互の理解が一致して提携となり、親善となり、唇歯輔車の関係が此処に出来上がるのじゃ
わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間は、その努力を買ってくれないで『天才だ』と言って片づけてしまう。私には遺憾千万
男は、四の五のいらぬことを考える必要はない志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい。
その大きな未開の宝庫は、早く扉を開けてくれと中から叩いて呼びかけている。
わしの今日あるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。誠実というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ
愈々(いよいよ)織機の改良と云うことに目的を極めたが、然らば是を如何に改良するか、今日でこそ織機と云えば動力で動かすものと極まって居るが、明治の初年に於ては動力など云うことを考える人は、余程“はいから”の部類の人であった
人間のやったことは、人間がまだやれること100分の1にすぎない。
一日働かざれば、一日食わず
左様な雰囲気の中に於て考えるのであるから、其苦心懊悩は一通りではなかった。…人の手ばかり借りて居っては、仕事が思う様に運ばぬ。自分にも大工の真似事もやる。朝から晩まで毎日毎日こつこつと何か拵えて見ては壊す、造っては又造り直す。それを後から考えて見ると、随分へまな事もやった。まるで狂人じみたやり方さ。
君は商人だぞ。商人なら金を儲けてくれ。儲けたら俺たちに回してくれ。そうしてこそ、はじめて研究ができるんだ。だいたい、世間の奴は研究家の実情を知らんな。
家の前まで乗ることはできない。山口村は私を育ててくれたところだ。私の先輩や村の人たちが汗水流して働いている中を、車に乗って通ったら罰が当たります
傍人が眺めて狂人扱いにし、変り者扱いにしたのも、尤も至極の事さ。弟を連れて東京に出掛けた事もある。