商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない
商売の始まりとは、余りある品と不足する品を交換し、互いに融通するものである
二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死するやうなこと多かるべし
どこの国でも、小さなことの中に大きなことを見抜くものは少ないようです
人の道というものは一つである。もちろん士農工商それぞれの道があるが、それは尊卑ではなく、職分の違いである
商人は、国の法をよく守り、わが身をよく慎まなければならない。商人といえども、人としての道を知らずに金儲けをし、しかも不義の金を儲けるようなことがあっては、やがては子孫が絶える結果を招きかねない
金を惜しむ気持ちが消え、いい買い物をしたという思いへと自然に変わるのである。
商人は一円でさえも軽んずるべきではない。こうしたわずかなお金を積み重ねて富を得るのが商人の道である。
小さな家を治めるにも仁をもととし、天下国家を治めるにも仁をもととする。仁に二種類はないのです。
下々に生まるればとて人に変わりのあるべきや
私が教えているのは、商人には商人の道があるということです。士·農·工のことを教えているのではありません。
商人の売買の儲けは、武士の俸禄と同じ。儲けのないのは、武士が俸禄を受けずに出仕するようなものだ
文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし
学んで商人の道を知れば、貪欲な心はなくなり、仁の心で仕事を努めるようになり、道を外れることなく栄えるのである。これが商人の学問の徳である。
私は誰もいない時は机に向かって話している。あなたがいれば十分です
学問は心を知ることから始まる
仕入れ時にはキズを大げさに言って仕入れ値を下げ、販売時にはそれを黙って売る。このような道を外れた不正がたくさんある。だからこそ学問をして正すのだ。
負けるが勝ち
商人の道とはお客さんが一円でも惜しいという気持ちを、満足という気持ちに転じさせることだ。
売値がその時その時で変わるのは相場があるからである。相場は天の成すところで、商人が自ら決められるものではない。だから利益をどれだけと一律に決めることはできない。