『サイコ』は観ている人に悲鳴や叫び声を上げさせるために作られたものだった。でも、ジェットコースターの悲鳴や叫び声以上のものではなかった…お客さんが楽しんで笑いながらジェット・コースターから降りてくれることを望んでいるだけだがら、それ以上の大それたことをする必要はなかったんだ
恐怖を取り除く唯一の方法は、それを映画にしてしまうことだ
自分の求めていたイメージと寸分たがわぬイメージを生みだすことこそ、映画作家の夢だ
私は自分自身の作品を見るのが怖いのです。だから決して私の作品を見に行くことはありません。どうやって観客の皆さんが私の作品に耐えているのか、私にはわかりません
アイデアはあらゆることから生まれる。
私は若者を支持する。私は22歳で最初の脚本を書き上げ、25歳で初めて映画を監督した。だから私は若さを賞賛する。周りは私を70歳だというが、そんなものはとんでもない嘘だ。私は35歳の2倍なんだ。ただそれだけ、35歳の2倍。
映画づくりの鉄則は、迷いが生じたら、どんなことがあっても、すぐ確実な地点へ戻ってやり直す(run for cover)ことだ
サスペンスとは女のようなものだ。想像にまかせる部分が多いほど、興奮も大きい。
水葬ほど素晴らしいものはない。シンプルで整然として、あまり罪なことでもない。
ヘンに理屈っぽいやつが、<マクガフィン>の内容や真相を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ
たかが映画じゃないか
あなたの中のどこかに誰も知らない人物がいるとわたしは感じる。
いかなる場合にも、あくまでも映画的な手法を正しく使うことによってのみ、自分の求めたもの、頭に描いていたすべてのイメージを、獲得できる。
ストーリー・テラーにストーリーの〈らしさ〉を要求するなんてことは、具象派の画家に物を正確に厳密に描くことを要求するのと同じくらいばかげたことだよ。
中庭の向こう側の光景は、様々な人間の縮図だ
テレビはアメリカのトースターのようなものだ。ボタンを押すと毎回同じものが飛び出してくる。
わたしにとって映画とは、人生の一片を描写するようなものではなく、一切れのケーキをペロリと食べるように苦もなくできることなんだ。
どんなに怖くても映画はしょせん映画だよ。一番怖いのは現実なんだ
ドラマとは、退屈な部分がカットされた人生である。
わたしは型にはめられた映画監督だ。もしわたしが『シンデレラ』を撮れば、観客はすぐに馬車の中に死体を探すだろう。