数千の屍散を乱し、哀れなる仕合なり。年来の御胸朦を散ぜられ訖。去て志賀郡明智十兵衛に下され、坂本に在地候なり
城山つたい茂る松村
安土の城に置かれましては、天下布武の総仕上げとも言える御城ゆえ、五常五行を表して五重の天守を建られるのがよろしいかと思いまする
堀をほり、塀・柵幾重も付けさせ、透間なく堀際に諸卒、町屋作に小屋を懸けさせ、其上、廻番を丈夫に警固を申付けられ、誠に獣の通ひもなく在陣候なり
はや籠城之輩、四五百人も餓死候
光忠は父の代には我が領内の百姓であったのを、父が召し抱えて足軽としたのだ。そして、私の代になると功を重ねて出世し家老まで上り詰めたので、明智の姓を与えた。百姓であった時の初心を忘れず、父の霊を弔ったその姿は武士の鏡とも言えるものだ。それを笑うものではない。
良き士を求めますのも、ひとえに信長公への奉公のためでございます。
次の日、廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣、一宿参籠致し、惟任日向守心持御座候や、神前へ参り、太郎坊の御前にて、二度三度まで鬮を取りたる由、申候
私は信長公に積年の怨みがあった。今から本能寺に赴いてこれを攻めよ
信長は殷の紂王であるから討ったのだ
一、我等不慮の儀存じ立て候 事、忠興など取立て申すべきとての儀に候、 更に別条なく候、五十日 百日の内には、近国の儀 相堅め候間、その以後は十五郎・与一郎殿など引渡し申し候て、何事も存ず間敷候
いざ、お前を五十日のうちに輿に乗せる身分にして見せる。
問題は人を得ることです
反逆すること、従順に従うこと、どっちがどっちということではなく、私はただ、自分の信じる通り堂々と生きてきた。55年の生涯をかけた夢は今覚めた。何もかも終わったんだ。
私は・・・嬉しいのだ・・・最後に民を守ることができてな・・・
もし・・・もし 泰平の世を目指すのなら・・・強かになりなされ・・・!
大和の法隆寺は千年の時を経てもなお立派に屹立しております・・・あの寺に等しく国とて人の造りしもの・・・泰平を目指し 千年の間保つこととて夢想ではありませぬ それには家臣や下々の労に報いる国造りが必須 そのためならこの命 投げ出す覚悟にござる
「短い付き合いであったな」「おお それでも天下の夢は見られたわ」
変えてみせる・・・この怪しくおどろおどろしい城も・・・信長が創りし何もかもを・・・すべて今より生まれ変わるのだ
波風立たぬ泰平かつ淡麗な世を造るには この明智光秀が鬼となる外はない