引用元:Yahoo!ニュース
今回は有名な「人見絹枝」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「人見絹枝」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
人見絹枝とは
人見 絹枝(ひとみ きぬえ、1907年〈明治40年〉1月1日 - 1931年〈昭和6年〉8月2日)は、岡山県御津郡(現:岡山市南区)出身の陸上競技選手、ジャーナリスト。日本人女性初のオリンピックメダリスト。100m、200m、走幅跳の元世界記録保持者。(100m、200mについては非公認)
走・跳のみならず投擲競技にも非凡な才能を見せた。円盤投げはそれまで全く経験が無かったが現地ヨーテボリで円盤を購入し、1ヶ月余の練習で国際女子競技大会で入賞した。
人見絹枝の名言集
いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、日本女子競技会には指一つ触れさせない
女子選手は全体的に発達しなければならなし、
家に帰りたい
努める者は何時いつか恵まれる。
神様!私に少しの運命がありますならば、どうか明日の戦いにただ一度、走らせてください。あとはどうなってもかまいません
わたしが死んだら世間の人は何と思うだろう。人見は運動をやり過ぎて死んだ女の子にスポーツをやらせるのは危険だといわないだろうか。
愚かなりとも、努力を続ける者が最後の勝利者になる
各国民の聞の親善と友宜を図る
苦しい
いくら人から教えられても、その内容を本当の意味で理解していなかったら、何にもなりません。
1894年7月16日フランスのクーベルタンは,各国の代表を招いて,各国の国民の身体を育成し精神を練り,各国民の間の親善と友宜を図るために,古代オリンピック競技大会のような,一つの大会を開催することの可否について会議を開いた
何々国際会議,何々国際大会と現在の世界には大きな会合が,年に二つや三つ必ず世界主要な国国の代表によって世界人類の平和と親睦の為に行われて居るが,ここに一つ近世万国オリンピック大会位主要な使命と功績をのこしているものはほかにはなし
まとめ
今回は「人見絹枝」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「人見絹枝」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。