西暦1900年代の偉人

【板垣退助】の名言集|名言まとめドットコム

唯、余(板垣)は死を以て自由を得るの一事を諸君に誓うべき也。

自由は土佐の山間(やまあい)より

母が予(退助)を戒めて云うに「喧嘩しても弱い者を苛めてはならぬ」、また喧嘩に負けて帰れば「男子たるもの仮りにも喧嘩をするならば必ず勝利を得よ」と母は叱って直ぐに門に入れない。成長すると「卑怯な挙動をして祖先の名を汚してはならぬ」と教えられた

最早その時代(武力で政権を覆す)にあらず

特権階級のような、人為的な制度はこれを解体することが可能であるが、人格の光よりして出る天賦の才能は、自然に異なって当然で、何者の力によっても絶対にこれを平等均一にすることは出来ない。

君の腕 一流なりし事、予 己(すで)に之を深く知る

臆病と言われても良い

そこで自分の考えでは、東洋の中心たる支那に一大学校を建設し、印度人でも、南洋人でも蒙古人でも、チベット人やペルシャ人までも包括して、どんどん教育を施し、有色人種をして将来世界を牽引出来得る文明人種に育てあげなければならない。これを行うには先づ日本人がアジアの盟主となり、率先して有色人種を指導せねばならぬ。どうだ一緒に行動しようではないか

上は天朝に報じ奉り、下は幕府を補翼し、神州の威稜を万国に輝き候様致し度…

北地極寒、邊土惨烈と聞くが、御國の爲めに自愛めされよ。退助は足下(きみ)の福運を祈り奉る

先祖の位牌の陰に隠れて、こそこそ戦い、結果、歴代の文物もろとも灰燼に帰すれば、徳川家は末代までも失笑の種となるであろう。尋常に外に出て正々堂々と戦いなさい

社会主義者は「勞働は神聖にして人間は悉く平等無差別に勞働の結果を収め、平等均一の生活を求むべきものなり」と言うが、もし彼等の言うように全国民の労働の賃金を均一にしたと仮定しよう、本来なら労働の多い少ない、勤勉であるか不真面目であるかによって賃金が変動するものが均一にされたならば、誰が勤勉に働くだろうか。結果として競争原理が働かなくなり、日に日に社会は退歩し、生活の水準は低い処にあつまり、文明の発展、個人の自由は阻害され、自分で考える事すら出来ない動物のように社会主義の牢獄に閉じ込められ、社会全体が愚者の集合体となり、ついにはミイラのような社会となるであろう。

君(中岡)が私に会いに来たのは、私が失脚したから、その真意を探る気になったからであろう。その話に移る前に、以前、君(中岡)は京都で私(退助)の暗殺を企てた事があっただろう

死生亦大矣

白色人種は有色人種を軽蔑してゐる。有色人種といえば劣等人種のように考えて、まさに奴隷の如くに扱ってゐる。これが、私は本当に残念でならない。

当時の経緯は種々あったとはいえ、土佐藩が瑞山先生を殺した処断は、日本における損失であり洵に誤りで有ったと断言できる

人は死んだら終わりだと言う、しかし私はそうは思わない。志ある人々が私の墓を前にして、世の矛盾に怒り、それを糾(ただ)さんと、世のために働いてくれるのなら、私の死は終わりではない。

板垣死すとも自由は死せず

フランスという国は一言でいうならば非常に野蛮な国家である。表向きは自由や平等を標榜しながら、実際には世界中に殖民地を有し、有色人種を使役して平然とし、世界の貴族階級であるかのように振舞っている。

従来の経験(青蓮院宮令旨事件を指す)によるに、京師は到底事を謀るの地では無い(公家たちと討幕の戦略を会議するべきでは無い)。京師にて事を謀れば、因循齟齬、何れも皆失敗に終わるではないか。今日、計を立つる(これから戦略を練る)には、各藩その国許にて方針策略を確定し、然る後に京師へ打って出づる(勤王派公家を巻き込む)が得策である。乃(すなは)ち尊藩(薩摩)の三郎公(島津久光)が弊藩(土佐)に枉駕(立ち寄る)せられて容堂公へ協議せらるゝとか、或は又、志士が互に往来訪問して、大計を定むるとかの手段に出でなくてはならぬ

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