僕が死んだときには、川かなんかにすててくれるくらいの良識をもった人が誰かいてくれないかなあ、心からそう願うね
とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない。誰もって大人はだよ。僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。
その言葉がその人の心臓の鼓動と一体になる
お前はまだ“太ったご婦人”が誰だか分からないのか?ああ、我が相棒よ、それはキリスト自身なんだ
僕たちは握手をしたんだな。握手とかなんとか、くだんないことをさ
おかしなもんだけど、誰にもわかんないようなことを言いさえすれば、相手はたいてい、こっちがやってもらいたいことをやってくれるもんさ
こいつはいつも同じことを二度言わせるんだな
シベリアのどっかで咳をするだけでいいんだ、それだけでもちゃんと聞きつけるんだから
ぼくの話をほんとに聞きたがる人は、たぶんまず、ぼくがどこで生まれたかなんてことを知りたがるだろう、それからぼくがどんなくだらない子供時代をすごしたとか、ぼくの両親がどんなに忙しがってたかとか、ぼくの生まれる前のこととか、とにかく「デーヴィッド・コパフィールド」的なクソ話を知りたがるんだろうけど、そんなことに深入りしたくないんだ
競技だってさ、クソくらえ。たいした競技だよ。もしも優秀な奴らがずらっと揃ってる側についてるんなら、人生は競技で結構だろうよ ― そいつは僕も認めるさ。ところが、優秀な奴なんか一人もいない相手方についたらどうなるんだ。そのときは、人生、何が競技だい?とんでもない。競技でなんかあるものか
このブルジョアってのが彼の愛用の言葉なんだ。どっかで読むか聞くかしたのさ
友達は俺と僕と私だけだ
たとえ百万年かけたところで、君には世界中にある「ファック・ユー」の落書きを半分だって消すことはできないんだからさ。
誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなって来るんだから
あなたは世界中で起こる何もかもが、インチキに見えてるんでしょうね
完全な無名人になる勇気を持てない自分にうんざりしてるんだ
おまえは作家なのか、それとも単にすばらしく気のきいた物語の作者なのか?ぼくはおまえからすばらしく良い小説をもらいたいと思わない。ぼくはおまえの戦利品が欲しいのだ
僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた
「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば
インチキくさい映画を見ておいおい泣いているやつなんてさ、十中八、九まで実は根性曲がりのカスなんだ。嘘じゃないぜ