(降服する」とは)ただ単に下された判決を受け容れる、あるいはまた、避けえぬものを避けえぬものとして認識するということにとどまらない。……降服するとは、その判決、その避けえぬものの面前で、自己を解体させることである
おそらくこの私なるものは、私が忠誠を誓った他者よりも直接的に私自身に現存することがすくないものなのである。
避けられないものを受け容れ、しかも全力をふるってそれを先取りするのを拒否することによって、私は内面から自己を強固ならしめ、自己自身にむかって自己の現実を証明し、あわせて目を閉じることが禁じられているその運命を無限に超越する方法を見出すようになりうるのである
真の愛というのは時間の制約を超えて、相手が永遠に生き続けることを希求する。
あきらかに希望のなかには、なにかしら無限に単なる受容を越えるものが存在する。あるいは、より正確にいうならば、希望とは非-受容である。ただし積極的な非-受容であって、このことにより反抗とは区別されると言うことができるだろう
原罪の観念が, ハイデガーの意識の背 景に残っており, その観念は全く見分けられないほど 世俗化している
(忍耐とは)時間性、つまり現実には変化への余地があるという事態
プレザンスの考え、体験が、神道の中心にあるのではないかと思われます。それで大変に興味を持ったわけですが、またむずかしいことでしょう。この考えは概念化できませんから。ですから科学とは全く離れているものです。科学の与件はすべて概念化しうるものです。
彼は、私がおそろしい自動車事故のあとで寝ていたとき、会いに来てくれましたが、その時部屋の中に誰かがいるのを感ずると言いました。おそらくは、私が失った愛する人たちのことなのでしょう。それは「現存」の一つの特徴なのです。「現存」として感じられた「現存」、客体化されていない、また、され得ないものです。
私は「聖なるもの」を名詞化してはならないと申しました。それは、先ほどあなたが、自然なものを客体化する以前の状態と言われたことと同じになるわけです。
まとめ
今回は「ガブリエル マルセル」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「ガブリエル マルセル」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。