柔を能く、剛を制す。
人生行路 唯有一耳
それ故柔道では、一面では攻防の中で学び、他面では実践することが可能なのです。
全ての武術を本当に説明可能な共通の原理はあるでのしょうか。あります。それは心と身体を最も有効に使用する原理です。柔術の攻防の戦では、この普遍的な原理を応用しているのです。
また体育をきちんと体系化することも出来ます。更には知力や自制心の改善にも応用が出来、この原理を適用した方法で 知育や徳育を体系化することもまた可能なのです。同時に食事や衣服、住居、社交、仕事のやり方、このような生活に係わる学習法や修習法についても、体系化することに応用出来ます。私はこの普遍の原理に「柔道」と命名しました。
擇道 竭力
自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとするために作り出した理念。相手を敬い、感謝することで信頼し合い、助け合う心が育まれるとし、人間の歩むべき道を提示している。
時間を最も有効に利用した者に、最も立派な仕事ができる。
順道制勝
自分の心に生じる欲望に打ち勝つのは敵に勝つより難しい
柔道の本義や修行の方法をさずけるだけでなく、役に立つ人間乃ち有数健全なる国民の育成を目指す
全ての運動競技法を取りあげてみても、何れも私には体育教育の理想であるようには映りません。何故かというと、個々の運動が身体のオールラウンドな発達のためではなく、何か他の限られた目的が狙いであるからです。
道徳とは、畢竟、他人、社会、国家、人類の自己に対する要求に適応する道であるから徳性を涵養するとか道徳的の修行をするとかいうことは、不十分なる適応から十分なる適応に進んでいく努力なのである。
人生には『なに、くそ』という精神が、何より必要だ。
善用とは最善活用の略で最も効率的に使うということ
しかし、私が柔道を教え始めた時、私が目的達成の為に学んだと同じ方法で行うのが、賢明であると考えました。なぜならば、そのやり方を用いれば、門人は身体を健康に、壮健に、やすやすと動けるようになれます。
繰り返しますと、運動を行うために大きな空間や特別な衣装、用具を求めるべきではありません。
(スポーツは)自己に対し、人に対し道徳や品位の向上を図ることができる
尽己竢成
柔道は道である