西暦1900年代の偉人

【寺山 修司】の名言集|名言まとめドットコム

男はだれでも 死について想っている 男にとって『いかに死ぬべきか』という問いは『いかに生くべきか』という問いよりも はるかに美的に響くのだ

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。

書を捨てよ、町へ出よう。

教育は与えるものではなく受け取るものである

名言などは、シャツでも着るように、軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく

(1964年「ミオソチス」が、中央競馬場から地方に移籍した際)うす汚れた、雨もり小屋の中で、あの美しい馬ミオソチスが、どんなみじめな日を送っているか

人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ

僕の職業は寺山修司です

一つ一つを大げさに考えすぎず、しかし一つ一つを粗末にしすぎないことです

女は何時でも、家を作る。巣を作るのも、ねぐらをあたためるのも女、子守唄をうたうのも、あたたかいスープを作るのも女である

人生はお祭りだ いつもどこかでおはやしがなっている

人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。

大体人生相談してくるのは、相談前にもう自分で答えが決まってるのが多い。

ほんとうは、名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである

時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが『名言』ということになるのである。

映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか

メモのことは今回、初めて知って、こんなに書いてくれていたのかとびっくりしました。ぼくも、彼に会うのを切望していましたしね。2人とも一生懸命本を読んで、話したいことが山ほどあったので

勝負というのはいわば、絶対へのあこがれなのであって、そこにおける叙事詩的な成果は、まさに勝利にしかない

私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。

漂泊とは たどりつかぬことである

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1900年代の偉人

© 2024 名言まとめドットコム