(上海音楽学院教授としての抱負)僕が一人の音楽家として生きてきた中で得た沢山の宝物を伝え、共に学び、『ゼロから生み出すことの喜び』を一緒に体感できれば…
何もないということは、何でもできるということ。人生を生きたいように生きられるということ。
母は三味線、姉は舞いという邦楽一家に育ちました。中学では剣道部に入りましたが、中学二年生で洋楽に憧れ、貯金して中古のギターを買いました
ブレイクできたアーチストとそうでないアーチストの違いは何か。それは意志なんです。目指すものを心から信じ切れるか。信じ切れない人は、あっちフラフラ、こっちフラフラしてしまう。
(学生に期待することについて)学生には、あえて期待も、希望も持たないようにしています。講義から、何かを感じ取って、何かをやり始める子が、ひとりでも出てくればいいなと思っています
信じられるほどのものが描けない、という人もいるかもしれない。でも、それは違います。自分を信じるから、絵にたどりつけるんです。
18才のときめきを4人分。36才の情熱を2人分。
僕は2003年に一度、すべての活動を休止しました。怖さはありませんでした。過去の実績なんて、しょせん過去のこと。むしろ一度空っぽにしたら、大興奮でね。新しい可能性がたくさん入ってきたから。
0から1になるまでは長い長い道のりだけど、「0→1」には喜びがある。1から2は、1をなぞらえればいいだけ。0はなぞらえようがないじゃない。「誰もやっていないよ、こんなこと」と言われるけど、だからやるじゃん。
捨てる勇気を持つ。そうやって吐き出すことで、新しい可能性が入ってくる。本当に大切なこともわかってくるんです。
菊池選手は東京で僕が住んでいる場所に一時(いっとき)、西武ライオンズの頃にいたんですよ。エレベーターで4回ぐらい会ってて」と明かす。さらに「『きょう先発?』と聞いたら『内緒ですけど先発です』、『頑張ってね』と言うと『頑張ってきます!』って。人柄の良さが出てたし、かっこ良かった
最初、服部克久先生から話があり、そのあと主任教授の三枝成彰さんから直接、要請され、千住明さんからも勧められ、お世話になることに決めました
ある物事について考えても答えが見つからないというときに、よくみんな「不思議だね」って言いますよね。「考えても仕方ないね」って。僕にとって『昴』の意味もそうでした。この曲がなぜ生まれたのか不思議だったし、「みんなに愛していただいている曲なのだから、それぞれの解釈があっていい。一つひとつのフレーズの意味を突き詰めて考えても仕方ない」と思っていました。今も『昴』の歌詞の解釈については皆さんのものだと思っています。
自分を信じて動いてみる。天命と感じたものに、素直に従う。それは、とても大切なことなんです。
大学時代に石川啄木を読みました。読んだと言うより食べました。そしてその時食べた糧が、曲や詩となって出てくるのです。それが私の心の中の啄木です。
(ソングライティングコースとは)自分で詩を書いて、曲をつくって、できれば歌い、そして伝えることを学びます。このコースの目標は、「生徒が考え、書くことを楽しむ、考え方のヒント・多くの扉があることを学ぶ、1日2篇、全体で26篇の詩を完成させる
外からの評価は気にしない。それは僕がすることじゃないから。まわりが判断することだから。僕自身が「これだ」と思えるものをひたすら出すだけ。それこそが大事なんです。
タイトルは1回ごとの講義につける学校側のシステムですが、この一つひとつに、実は本人が気付いていないものを目覚めさせるスイッチが隠されているです。音楽と関係のない話と思うかもしれませんが、この講義で話すことは全て音楽に集結していく話です
祐太朗の声の端々に、お母(百恵)さんの声が聴こえる
僕は、そのときそのときにやりたいと思ったことを大事にしたし、そのときそのとき、自分のベストを尽してきた。出し惜しみは決してしなかった。