西暦1900年代の偉人

【小津安二郎】の名言集|名言まとめドットコム

ばばぁは僕が飼育してるんですよ

こんな馬鹿げたものに寝てられるかい

お茶漬けだよ。お茶漬けの味なんだ。夫婦はこの、お茶漬けの味なんだよ

手に持ったお盆の位置を右に2センチ、上に5センチ高くして

今日から城外に慰安所が出来る。金曜日がZで開店早々うちの部隊が当る。慰安券が二枚 星祕膏 ゴムなど若干配給になる。半島人三名支那人十二名 計十五名の大籬だ。

しょせん映画監督は橋の下で菰をかぶり、客を引く女郎だよ

いくら、画面に、悲しい気持ちの登場人物が現れていても、そのとき、空は青空で、陽が燦々と照り輝いていることもあるでしょう。これと同じで、私の映画のための音楽は、何が起ころうとも、いつもお天気のいい音楽であってほしいのです

テストと本番を同じように出来る人こそ名優だ

話の仕組み自体はメロドラマ的なものだが、メロドラマになるもならぬも芝居の押し方次第だ。近ごろは〝大船調〟批判がきびしいようだが正調の〝大船調〟とはこれだ — それが僕がこの映画を作る魂胆さ

映画には、文法がないのだと思う。これでなければならないという型はない。優れた映画が出てくれば、それが独得の文法を作ることになるのだから、映画は思いのままに撮ればいいのだ

一ダースぐらい、こういう帽子を持っている。白は清潔だし、登山帽は汗の流れるのをとめてくれる。それにしまうのも簡便だ

贅沢はするものだ、心を満たすから。その場所にいく、その人に会う、そのすべてが食事に含まれる

山本富士子くんだって、僕は『彼岸花』であんなように使ってみたが、じっさいああいう案外にしゃれた茶目ッ気の味をもってるんだね、なかなか芸の風格があると思うんだ。原節子くんだってそうだね、『晩春』『麦秋』でよく判ったよ。なかなかいい芸域をもってるんだ

小雨。宿舎の裏に河がある。こゝで点呼をとる。河原ハ一面の芝生でお天気さへよけれバ陽炎もたち、当分の滞在をこゝの芝生で昼寝に送らうと思ふ。風呂場、厠をつくる。支那の正月。一月元旦だ。

君なんかに俺の映画が分かってたまるか

あの頃はまだプレレコの技術がなかったんで、キャメラが自由に使えなかった。全部シンクロだったから、どうしてもキャメラに無理が出来たんです

小説家や画家なら、マズいと思ったらやりなおせるし、途中で考える余裕があるのに、映画ではそうは行かない。こういう傾向をはなはだ苦々しく思っている

床の間の軸や置きものが、筋の通った品物だと、いわゆる小道具のマガイ物を持ち出したのと第一私の気持が変って来る…人間の眼はごまかせてもキャメラの眼はごまかせない。ホンモノはよく写るものである

ある会社の予告篇を見た。オッパイは隠しているけれども殆ど臍すれすれまでにズロースをさげた女が出てきて、男は踊る。踊りながら暗い所へ引っぱりこんで行き、ベッドの上に腰をおろす。次のシーンは、カーテンの後で接吻する(略)最近はこういうものが無闇と多い

男の方が強いと女の児が生まれるっていうし。女が強いと男だってね、ほんとかね

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